2010年03月20日

WILDMAN BLOG RENEWAL

新しい場所でブログ作りました。ムーンアイズのサーバーに更新したので、ブログがそちらに書く事になりました。こちらはもちろん残します。新しいブログ見にきて下さい。http://www.mooneyes.co.jp/wildman/
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2010年03月13日

同窓会は楽しいぜ、KISSの場合はこれいかに!? Part II

やっぱり寒い!寒過ぎであります!! 今週、またもや横浜は突然の豪雪に見舞われ(1センチ以上積もったら豪雪と認識しております)3月になったというのに全く春らしくならず、このままでは4月まで冬が続きそうで本当に困ってしまいます・・・

こうなったらStreet Car Nationalsまで冬が終わらず、当日は雪なんて可能性も出てきました。雨天決行!!Street Car Nationalsですが雪だったらどうなるのでしょう?? Long Distanceはどちら様に!?

そして先週からのKISS話の続きであります。

1983年にメイクを落としてからのKISSもそれまでと変わらず、ずっと応援し続けていた私でありますが、人気凋落バンドとなっても’88年と’95年に来てくれたノーメイク時代のJapan Tourにはきちんと足を運び、CDやグッズ類もせっせと購入し続け、とっても献身的なファン活動を行っていました。勝手に貢いでいるだけですが・・・・

そんなこんなで時は流れて90年代中期を過ぎると、いろんなバンドの再結成が次々と行われ、どれも成功を収めていました。するといろんなとこで「KISSが又メイクをしてオリジナルメンバーでやるみたいだぞ」なんて言う恐ろしい噂が飛び交うようになりました。

「う〜む、それはとっても凄いことだが、現在は違うメンバーでやってる訳だし、大体やめてったあの二人ってまだ演奏出来るの?」という小心物らしい不安もあり「うん、やっぱりこれはデマだ、誰かが悪い噂を流してるだけだぜ!」と思っていました。

オリジナル・メンバーのピータークリスとエース・フレーリーが脱退しメンバー・チェンジやメイクを落としての活動となりすでに十数年、メイク版KISSなんて時代遅れのはるかかなたの70年代的夢物語として語り継がれているだけで、もう一度オリジナル・メンバーでメイクをしたKISSが演奏するなんて、何かのジョークかWildmanの白昼夢でしかありませんでした。いや本当にKISSが再びメイクをするなんてファンであるからこそ「絶対にない」と思っていました・・・

しかし時が経てば時代遅れとみなされていたメイク版KISSも伝説となり、今度は時代がそれを求め始めたのです。

そして’96年のグラミー賞でプレゼンターとして突然、何の前触れもなくオリジナル・メンバーのKISS 4人が揃って70年代のフルメイク&コスチューム姿で突然ステージに現れたのです。

会場はそりゃもう大騒ぎとなったそうで、そこにいた芸能関係の皆様方は「スゲエ、オリジナルKISSだ!!また演るのか!?」と興奮状態となりこれ一発でKISSリユニオンは世界中に発信出来たのです。

そしてついこの前の1996年の4月16日、大袈裟なことが好きなKISSはニューヨークはマンハッタンに停泊している空母USSイントレピッドで記者会見を開き、リユニオン・ツアーを正式に発表し、世界中のKISS ARMYそして元KISS ARMY達を狂喜させたのでした。
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その一方でノーメイク時代を支えてきた、ドラマーとリード・ギタリストの二人はあっさりクビとなったのです・・・・この二人の方が全然演奏は上手いんですけど・・・

日本でも一人の変態が狂喜の渦にさらわれていました。「あわわわわわわ、本当にKISSが再結成しやがった!!本当に本当に本当なのですか?????」と失神寸前の32歳の男はどうしたらよいのか分からなくなっていました・・・・・

ついこの前まで「リユニオンなんてありなの??ずっと頑張って来た二人をクビにして、ヤク中とアル中で辞めてった二人を戻してまでやる再結成なんて価値あるの?」とリユニオン否定説を唱えてきた横浜の変態はあっさり寝返って「ハイ、リユニオンありであります!!お二人サンお疲れさまでした!!お帰り、ピーター&エース」と早くもリユニオン・KISSの来日を待ちわびていたのでした。
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この変わり身の早さが生きて行く上で大切なのです・・・・

そしてアメリカで初日公演となるデトロイトのタイガースタジアムでのチケットは発売と同時に一瞬で四万枚が売り切れて、その後もずっとソールドアウト公演が続き、KISSリユニオンをバカにしていた評論家達をぶっ飛ばす勢いで、結局この年のアメリカのコンサートブッチギリナンバーワンの興行収入を上げたのでした。めでたし、めでたし・・・

そしてついに来日決定であります。本当にオリジナル・メンバーでメイク版KISSがやって来るなんて夢にも思ってなかった変態は、興奮のあまりジーンのお面をかぶり、旭区のアパートの一室でエアギターをプレイしておりました・・・
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なにはともあれチケットです、チケットがなければどうにもなりません。しかし今回の東京ドームでの”KISS ALIVE WORLDWIDE ’97”はプラチナチケットと化していて、手に入れるだけでも大変なのです。しかも相手は東京ドーム、スタンド席なんかに廻されたらステージなんて遠くて何にも見えません。火吹きを目の前で見たいのです!!!

「そりゃいくら何でもあんまりだ、ずっとファンであり続けたこの俺様が一番後ろの席なんて、ウェディング・ベルのシュガー並みだぜ、くたばっちまえアーメン!!」と興奮しても、チケットぴあなんかでまともな席が来るわけないのです・・・・何かツテがないと良い席なんて確保出来ないのです。

まだヤフオクもなくって、オークションで高額な優良席チケットを入手する術もありませんでした。こんな時、一筋の光が見えて来たのです、神様、仏様、カリスマ店長様・・・・そう、かつて一瞬だけ「業界」に在籍したことのあるエリア-1カリスマ成田
店長様にはそのツテがあったのでした!!!!!カリスマ店長様に必死にお願いして、何と東京ドームアリーナ席がゲット出来たのでした!!!最高だぜカリスマ、ありがとう!!!!
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そして1997年1月18日、ついにオリジナル・メンバーによる来日公演初日を迎え、変態はアリーナ席チケットを握りしめ、大嫌いな巨人軍のホームである東京ドームに出撃致しました。横浜スタジアムでやってほしいのに・・・

「C9ブロックの113番はどこだ、みんな俺に道をあけろ!!」と心の中でつぶやくしかない小心者はやっとこ自分の席を探し当てました。「あったぜ、ここだここだ、ここならステージも良く見えるぜ、ワーイ」と感激し、着席して後ろを振り返ると、そこには何と西城秀樹さまが着席、「ヒデキ、感激!! Wildmanも感激!!」でありました・・・・

東京ドームは20年来のファンであるKISS ARMYの同窓会となり、さらに新たなファンたちもごった返していたのです。

待ちに待った 5:00PM過ぎ”All Right Tokyo, You Wanted The best,You Got The Best!! The Hottest Band In The World, KISS!!!!というおなじみのMCと共に幕が下ろされ、そこから先は興奮と涙のライブとなりもう書くことは何もありませんです・・・・又、興奮してきた・・・

それにしてもついこの前の1997年東京ドーム KISSリユニオンは最高の同窓会だったぜ!!!
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2010年03月06日

同窓会は楽しいぜ、KISSの場合はこれいかに!? PartI

先日ですね、高校の時のクラスメートから突然電話が掛かって来まして、何でも今年はクラス会をやるとのことで、お知らせの手紙を出す為にそれぞれの住所確認をしているとの事でした。私にとっては80年代の高校時代なんて、全くついこの前の出来事なのですが、一般的な時流の感性を持つ方々にはそれってとっても大変な作業に思えます。頑張って下さい!!

卒業してから四半世紀以上が経てば皆様それぞれいろんなパターンの生活をし、変わってしまった方は本当に色々と変わったと思うのですが、私のライフスタイルは何も変わっておりませんのでご安心下さいませ。

やってることは当時と何も変わらず、ミニカーとKISSとスニーカーに埋もれている生活は昭和50年代のままですので、当然同窓会当日には79年製KISSのTシャツに81年に買ったフィラのボルグジャケットを羽織り、足元は高校生当時メンマ工場のバイトで買ったナイキ・バミューダでバッチリきめて行こうと思っている次第であります。全く1981年10月当時の私の再現です、カッコイイなナルシストWildman !!!
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ということでReunion(同窓会)といえばやっぱりKISSなのです!!! と、その前にこの間KISSのスカジャンなるものが東洋エンタープライズさんから発売されました。
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こんな無茶苦茶な刺繍のデザインは真のKISS ARMYにしか着こなせませんね、リバーシブルのジャケットなのです。しかし最高だぜ「地獄の軍団」よ!!!(湘南爆走族とは違います)KISSとのコラボによるジーン・シモンズも着ているという本格的なモデルなのですが、以前東洋さんとMooneyesもコラボしてこのアロハ・シャツをデザイン致しましたね。
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ウオオ〜こうなったら俺もKISSとコラボしてなんか作りたいぜ、まってろジーン・シモンズよ!!!!

で、Reunionであります。30年以上も活動が続いているバンドなので、当然いろんな事がありましたな。

ゲテモノ扱いのデビュー時、絶頂の70年代、その後のメンバー脱退、悪夢のメイク落とし&80年代の人気凋落、そして素顔での活動・・・・ずっとKISSと共に生きてきた私なので感慨深い物があるのです。人気がなくなった素顔時代の1988年、10年ぶりに日本に来てくれてライブを行ってくれましたが、マスコミの扱いも少なく「何をいまさら、KISS??」という感じも致しました・・・こちらはその時の横浜文化体育館でのチケットになります。
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(2008年4月12日ブログ参照)
オンボロ文化体育館でKISSが演ったなんて・・・・それにしても4列44番の席番って意味深ですね、何の意味もありませんでしたが・・・いや違う、意味があったんだ!!!この席の3つ後ろに高校の時の1年8組出席番号1番のA君が偶然いたんだったっけ、まさにりユニオン!!!(ちなみに私は出席番号3番)

その後も私は”KISS ARMY INTERNATIONAL”なるファンクラブに入会し、信者としての活動を熱心に続け「いつか、メイクアップ版のKISSが見てみたいな、死ぬまでに・・・」と夢のようなことを考えておりました。24時間いつも白昼夢ですが・・・

この時代はKISSが再びメイクアップをするなんてまた夢のまた夢だったのです。まだDVDも無く、不当に値段の高い海賊版ビデオなんかで懐かしい70年代の画像を見るしかなかったのです。

すると90年代中期になって、何やら怪しげな噂が飛び交うようになりました。「KISSがオリジナルメンバーに戻って、またメイクをしてやるらしいぞ!?」 「いや、それはデマだよ、そんなのありえないよ」なんて言う嘘かまことか嬉しいやら悲しいやらといった情報がポツポツと日本にも入って来ました。

この頃はイーグルスが再結成して大成功を収めたりして、世は70年代の音楽やライフスタイルを再評価し、かつての人気バンドのリユニオンが活発になり、どれも成功して最後に残った大物が我がKISSなのでありました。
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しかしKISSは再結成というわけではなく、メイクは落としててもちゃんと活動をしている現在進行形のバンドでありまして、もしオリジナルメンバーを二人を引き戻して70年代のスタイルにするとなると、ノーメイク時代を支えて来た、リード・ギタリストとドラマーのクビをチョンと切らなければなりません。

「それってOKなの?? ずっと頑張って来た二人をクビにしてでもアル中とヤク中で辞めてったオリジナルメンバーを戻してやるリユニオンって価値あるの?」という真面目な意見も真面目なWildmanは持ち合わせておりました。いつの時代も真面目なファンだったもので・・・・・

そうこうするうちにどんどん事は進み、ある日変態の元へビッグ・ニュースが舞い込んで来たのでした。

ということで続きは来週のお楽しみであります!!!(お前が勝手に楽しんでろって!?)
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2010年02月27日

90年代を席巻したアストロの思い出は国道246号と共に・・

いよいよ日本のプロ野球はオープン戦も始まり、球春到来ということで陽気もポカポカと暖かくなってきましたね。

今年の横浜ベイスターズは久々にお金を使った補強もし、最下位脱出はもはや確定的となっておりますが、やっぱり一番気になるのは昨年のドラフト一位の筒香君ですね(つつごうと読みます)

地元横浜高校出身のスラッガーでちょっとデブなのが気になりますが、高校通算69本塁打という実力は、かの渡辺監督が「横浜高校史上最強のバッター」というとんでもない発言の通り、他チームスコアラーの評価も上々で「あの松井以来のパンチ力」というおほめのお言葉も頂いております。このまま上手く行けば開幕一軍となり、ベイスターズには珍しく高卒ルーキーのベンチ入りが見れるかもしれません、ワクワク・・・・筒香君にはそんな超人的な活躍をして欲しいものであります!!

超人野球といえば「アストロ球団」でなのです。えっ、知らないって、何で??ついこの前の1972年から1976年までの間、少年ジャンプに連載されてた「スポ根超人野球漫画」とでも言うのか、それは恐ろしいストーリーの野球漫画でありました。
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昭和29年9月9日生まれの、体に同じボール型のアザを持つ9人の超人がアストロ球団というチームを結成し、打倒巨人、打倒大リーグを目指すという話の展開なのです。魔球くらいなら驚きませんが、試合中死人や廃人が出たりして、まるで殺し合いのような無茶苦茶なストーリーは、とてもそれまでの「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」のような正統派野球漫画とは一線を画していて、少年Wildmanは一発でファンになってしまいました。

単行本で20巻もあるのに、試合は何とたったの3試合しかこなしてなく、1試合当たりの連載は1年以上掛かっていたような感じなのでした。力道山先生ご友人のロッテ金田正一監督やアルトマン、有藤さんら実在のプロ野球選手も出てくるのですが、壮絶なストーリー展開は今の時代ではSFかギャグ漫画にしか感じられないかもしれません。

「そうだ、今こそ読み返そう!!」と思いましたが、そういえば単行本の17巻から19巻は、ついこの前の1978年、中学校の英語の授業中に読んでいるところを先生に発見されその場で没収されていたのでした。

「卒業するときに返してやる」と約束したはずですが、返してもらってません・・・大谷先生、いい加減に返して下さい!!

そんなことはどうでもいいのです!!漫画の「アストロ球団」じゃなくって、クルマの「シボレー・アストロ」の話をするつもりがこの有様です、すみませんです・・・・

アストロといえばとっても素晴らしいデザインを持ち、あんなに横幅があるのに日本でも受け入れられて、90年代にはカスタム・ベースの定番としてみんなが乗っていましたね、物凄い台数が日本に輸入されてたミニ・バンでした。ちっともミニじゃありませんが・・・

90年に初めてお客様のアストロにPinstripeを施工しましたが、20代前半のオーナー様は、何と500万!!近くしたアメリカ製作カスタム車輛をフルローンで買って来てPinstripeを依頼されました。バブリーな時代でしたね・・・・

ムーンアイズでもカスタム・ベースの定番車輛となり通算6台も製作するという暴挙?に出て、それぞれが色々な用途に使用され皆様の眼に留まった思います。
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シンプルな黒と黄のツートンのヤツは高価なビレット・ホイールにビス止めサターン・ディスクを装着するというまさに暴挙でしたが、カッコ良ければそれで良いのです、いつの時代もGo! with M@@Nなのです・・・

そして勢い余ってベイスターズ38年ぶりの優勝を記念して98年に作ったのが'89旧型アストロベースの”Street Van”でありました。まだハイテック・ブームの名残があった時代に、突然70’sリバイバル・デザインを持ち出したのは最高のアイデアだと思いましたが、逆に作る時代が早過ぎたようです。
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凄過ぎちゃって、当時の普通の?アストロ・オーナーは引いてしまいました・・・さすがにGo! With M@@Nとは行きませんでした・・・

でも今なら良いかもね、好きだな〜このクルマ!!!

6台のアストロのうち、一番仕事で使ったのは、この白・グレーツートーンの後期型’96カーゴ・バンでしたね。
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大阪やら九州やらあっちこっち自走で出張PaintやShowに走りまくりました。目玉だらけのデザインはどこに行っても人目を引き、印象深いクルマだったと思います。新車ベースだったのでとっても丈夫で、本当に便利なヤツでした。

過去形のようですが、もう日本にはこのクルマは無く、その後アメリカに里帰りし、2010年現在はSanta Fe SpringsのMooneyes USAにて未だ現役で活躍しております、頑張れアストロ!!

日本でカスタム・ペイントを施してから14年の歳月が経っておりますが、まだ目玉だらけの塗装はキレイなままでして、あの”Santini Paint”のサンティーニさんもその耐久性に驚いていたそうです、まあ96年なんてついこの前ですが。

このクルマには色々と思い出がありますが、一番の思い出は何と言ってもArea-1カリスマ成田店長なのであります。

確か96年のアメフェスだったと思うのですが、富士スピードウェイからのおなじみ大渋滞の帰り道、東名の渋滞を回避し、国道246に出ましたがやっぱりそこも大渋滞でした。このアストロは2シーターなので、私が運転し、横にはカリスマ成田店長が座って、仕方なく山の中の長い渋滞にはまっておりました。さんざんプロ野球の話をした後、突然成田店長が「石井さん、トイレに行きたい!!」と子供のような事を言い出しました。

「そんなこと言ったってこんなとこにトイレなんかないよ、お店もなんにもないからその辺でしちゃえ」とアストロから降ろしちゃいました。渋滞してクルマも全然進まないから2〜3分なら大丈夫だぜと待ってましたがなかなか成田店長が戻って来ません。

そうこうするうちにクルマが少しずつ進み始めました。「まあ、いいや動かず待ってましょう」と片側1車線の道をふさいでましたが、後ろの方からクラクションがピ〜と鳴り始めました。

「やばいな、少しだけ進もう」と思いチョッぴっとだけ進みました。それでも成田店長は戻って来ません。するとなぜか突然渋滞がやわらぎ始めどんどん前のクルマが進んで行くのです・・・・

「こりゃまずい、一緒に進まないとクラクションの嵐が待ってるぜ」と小心物Wildmanは前のクルマに続いて少しずつ、少しずつ進みました。しかしいくらバックミラーを見てもカリスマ店長の姿が現れないのです。
「何やってんだ、アイツは、一体どこに行っちまったんだ!!」と今度は私が逆ギレ気味になり、アストロは普通にすいすいと走り始めたのです。気がつけば山道を2キロくらい走り、やっとバス停のスペースを発見しそこにアストロを停めたのでした・・・・

夏の夕暮れ、なぜか国道246号の山道を一人歩くカリスマ成田店長・・・・渋滞にはまるクルマの人々の好奇の視線を浴びながら、ヒッチ・ハイカーのような店長はやっとアストロのところまで辿り着きました・・・・

「石井さんヒドイな、何でおいて行っちゃうんだよ〜!!」と成田店長が叫べば「勝手に消えてしまうオマエが悪いんだ!!トイレなんか我慢しろ!!」と逆ギレで応戦するWildman、いまだに上手く交わらない二人の争いはこの時から始まっていたのかもしれません・・・・・

カリスマ成田店長伝説もこの頃より始まっていたのかもしれません・・・

90年代を席巻したシボレー・アストロの思い出は、国道246号と共にあるのです、やっぱりアストロ・バンは最高だぜ!!!
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2010年02月19日

力道山先生のご自宅を訪ねて Part II

まったく寒いったらありゃしない!横浜は雪ばっかり降ってGarage内は冷蔵庫と化しクルマのボディーはキンキンに冷たくなってピンストライプも凍ってしまいそうです・・・

今週は富士に出張Paintに行ったのですが、行きも帰りも御殿場周辺の東名高速は雪が降りまくりやがって、小心者はクルマを乗り捨てて本当に電車で帰ろうかと思ったほどでありました。期待の暖冬は何処へ・・・・
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そんな寒い中、やっとこ”Hot Rod Custom Show 2009"のDVDが入荷しましたよ!あのイベントは自分の周りの事で精一杯で、なかなか全部を見ることは出来ませんので、このDVDを見て改めて当日の感動が伝わってきました。皆様もこの感動をぜひお手元に!!でも本当はDVDじゃ無くってベータ・ビデオで見たかったのですが・・・・

という事で先週からのお話&ロケの続きであります。
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ご自分で髷をぶった切り、相撲を廃業しちゃった力道山先生はちょこっと荒んだ生活を送られていましたが、銀座の飲み屋で運命の出会いがありました。酔っ払いついでにちょろっとからかってケンカをしようと絡んだ相手が「ハロルド坂田」という日系人でした。
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先生はからかうつもりが反対にこの坂田に関節技をきめられてしまいました。ハワイ生まれのハロルド坂田はこの時、日本に来ていた駐留米軍慰問のプロレス御一行のメンバーでした。

そう、この坂田さんは後に007ジェームズ・ボンドシリーズで名脇役となった「オッド・ジョブ」役を演じた方なのです(あの帽子をピュっと飛ばすあやしい悪役ですな)そしてハロルド坂田にプロレスの練習に来るように誘われた先生はナゾの西洋相撲プロレスにはまってしまい、エキジビジョンにも出場し気がつけばハワイに修行に行ってしまいました。朝青龍が引退後ゴルフしにハワイに行くのとは訳がちがうのですな・・・
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先生はそのままアメリカ本土に渡って一年の間に300試合をこなし負けたのはたったの5回だけ!!!という成績を手土産に凱旋帰国し、力道山道場を開いて日本にプロレスというビジネスを広めて行くのです。

そして始まったばかりのテレビ放送にプロレス中継を見事に乗せて、一大ブームを作られました。なんとNHKまで先生の試合を中継していたのですから・・・・

こちらは街頭テレビで先生のプロレス中継に熱狂する人々です。
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私がこの中にいなかったのが残念でありません・・・・生まれる時期を間違えましたな・・・

その頃先生が住んでたのが、先週ご紹介した日本橋浜町のご自宅であります。そしてついこの前の昭和30年に「でっかい洋館に住んでみたい」というご希望により今度は東京都大田区梅田町34番地の大豪邸「リキ御殿」に引越しされました。この画像の右にある木に囲まれた古墳のように巨大な屋敷がリキ御殿であります。
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猛烈に広い敷地内にはキャデラック、300SL、ヒーレー等の愛車がずらりと並び、ドーベルマンやポインター、ボクサー等16頭!!のお犬様も飼っていたのです。我が家の猫6匹&犬一匹ではまだとても対抗出来ませんです・・・おっ、先生とお犬様の後ろには新車のChevy Nomadが・・・素敵過ぎます。ちなみにお犬様の世話はアントニオ猪木さんがやっていたそうです、時代ですなあ・・・
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「こうなったらリキ御殿に行くしかないぜ」と思って、日本橋浜町より大田区へ大移動であります。ちなみにコレは途中で目の前に現れた東京タワーであります。やっぱりカッコイイぜ、東京タワーよ!!力道山時代の優秀な建築物であります。ちなみに横浜マリンタワーを世界一愛しているのはカリスマ店長成田であります。
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行って来ました大田区梅田町!!!というか21世紀現在は大田区南馬込6丁目という地名になってました。

「さてリキ御殿はどこでしょう??」と一人の変態が雨の南馬込の街を歩くこと十数分、「こ、こ、これは、何か違うぞ、この建物は!」やっとたどり着いたリキ御殿のはずの番地にはこのような建物が・・・
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そう、リキ御殿はとっくの昔に無くなっていて、現在は都営浅草線・西馬込駅の車輌置き場になっておりました。これが悲しい現実、50年の歳月は街の全ての風景を変えていたのです、寂しいぜ・・・・
しかしこの敷地内には、なんとリキ御殿の庭石がそのまま転がっているというウワサもあるのです。今度不法侵入レポートを敢行するしかありませんな。

タイトルは「突撃!!リキ御殿2010」となる予定であります。

傷心の変態はそのまま今回の最終目的地「池上本門寺」に向かいました。一年半振りの力道山先生お墓参りとなりました。突撃!!雨の本門寺であります。
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お馴染みの一枚目の看板が見えてきました、
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そして角を曲がって2枚目の看板っと、と思った瞬間、あまりの惨劇に目を覆うばかりでした。一年半前の訪問時にもこの看板の色褪せが気になってましたが、なんと今度は色あせた文字がマジックペンで縁取られてました・・・・なんでこんな恐ろしいリペアするんでしょ、こうなったら次回は絶対にワンショット・ペイントを持ち込んで勝手に書き直してやると心に誓った次第であります!!!
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そして先生の墓所にたどり着きました。沢山のお花が供されているのはサスガでありますな。手を合わせて最近の活動状況をご報告致しました。
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今回は雨の中、傷心のレポートとなりましたが、これからも定期的に力道山先生の足跡を追って行きますので、皆様いっしょに楽しんで下さいませ・・・・
posted by ワイルドマン at 19:29 | 🌁 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2010年02月13日

力道山先生のご自宅を訪ねて Part.I

やっとこ蜂に刺された右腕も快復しましたが、ハレが引くのに2週間も掛かるとはアメリカの蜂、恐るべしでありますな。蜂のムサシは死んだのさ・・・・・

この前の休みの日、ミニカーにワックス掛けを行いました。楽しいけどとっても大変なので今回は15台ほどで勘弁してやりました。ローテーションで死ぬまでやり続けますが、こんなペースじゃ今回施工したモデル達に次のワックス掛けの順番が廻ってくるのは10年後の2020年になるかもしれませんな・・・
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そして次の日の天気予報が気になったので、めったに見ないテレビを見よう思いアナログ放送にスイッチオン!!ちょうどニュース番組がやっていたのですが、最近話題の横綱朝青龍の引退に関する特集をやっておりました。「ふ〜ん、横綱も相撲協会もどっちも悪いのう・・・横綱の品格ですか」そんなのより「変態の品格」の方がよっぽど大事に思えるのです。

と思っていた次の瞬間、突然テレビ画面がモノクロに変わり、飲んでいたカルピスソーダをブッと噴出してしまいました!!

「セ、先生、力道山先生!!!どうしたのですか、テレビ出演などなされて!!」と叫ぶ変態が一人・・・・興奮のあまりアワワワワと品格の無い醜態をさらしておりました。

この番組では関取引退後の転身みたいな内容で、大相撲引退後に成功した偉大な力道山先生や、転身失敗のどーしようもない双羽黒や、なんだか分からない存在になっちゃった曙たちの事を紹介していたのです。
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テリー伊藤氏も言ってましたが、朝青龍もですね、引退の経緯はもうどーでもいいとしてですね、これからもし格闘界でやってくのなら、どっかの団体にすがりつくんじゃなく、力道山先生が日本にプロレスを持ち込んだように、自分で団体の一つでも作ってやってみなさいと言う感じなのです。確かに強さは半端じゃなかった朝青龍、これからどんな行動を起こすのか当分のあいだ話題になって行くのでしょうね。

そんな事よりも、テレビ画面で久々に力道山先生の動く姿を見てしまい、ふと思い出しました。「そうだ、この前の12月15日はMooneyes USAのX-mas Partyに出張していたので先生の命日だというのにお墓参りに行ってないではないか!!これはイカン」と思い、気が付けば東京は池上本門寺に向かう準備をしておりました。

朝青龍引退の事があったので「先生もついこの前の昭和25年9月の関取引退後は大変だったのう・・・確かに先生も朝青龍ほどじゃないかもしれんが、関取時代の素行は決して良かったとはいえないのですな、これが・・・」先生も関取時代はこの有様で、こんなカッコで場所入りしてたのですよ!!
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当時の愛車「1948年型インディアン」であります。今じゃ考えられない相撲取りのバイカー・・・・先生カッコ良過ぎます!!朝青龍にも出来ますまい!!(というか今じゃこんなの許されませんね)無茶苦茶に固かったインディアンのキックでしたが、先生はシートに座ったまま軽々とキックを踏み下ろしていたそうです。

なんて考えているうちに「そうだ、どうせ東京に行くのなら、先生が関取引退を決意した日本橋浜町のご自宅跡にも伺ってみましょう]と言う事になりました。と言うか自分で勝手にそうしているのですが・・・
 
そしてやって来ました東京は日本橋浜町3丁目、ついこの前の昭和24年頃、ここに関取現役時代の力道山宅があったのです。
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関脇に昇進し、ここから場所入りしプロレス転向後も暫くはこの場所にお住まいになられておりました。こちらはそのご自宅前でキャッチボールをする先生であります。2010年現在はこのように銀行等が入った大きなテナントビルが建っておりますが、ここに確かに力道山邸が合ったのです・・・・行きたかった・・・・
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昭和25年9月、このご自宅で先生はなんとご自身で包丁を使い髷をぶった切ってしまい、勝手に廃業してしまったのです・・・大関目前にある地位の力士がこのような行動を取ったのは相当な覚悟があり、これは相撲協会の先生に対しての扱いへの回答だったのです。
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結局亡くなるまでご本人からこの件についての真意は語られませんでしたが・・・どうせなら朝青龍にもこのくらいぶっ飛んだ行動を取って欲しい物ですな。

この後先生のサクセス・ストーリーが始まり、ご自宅も引越しとなって今度は大田区梅田町へと家族共々移って行くのでした。それでは次週はそちらに向かいましょう、皆様ついて来てくださいな・・・

posted by ワイルドマン at 07:50 | ☔ | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2010年02月06日

同じに見えても違うのさ! Part.II

ブン♪ブン♪ブン♪蜂が飛ぶ・・・・・
皆様こんにちは、先週はですねPomona Fairplexにて開催された61st Grand National Roadster Showに行って参りました。
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今年はですね3日間の開催中、天候にも恵まれてとっても盛り上がっていました。(このShowの詳しいReportはMMMにて多数の写真と共にGoshuが執筆致しますのでそちらをチェックして下さいませ)
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昨年同様、私はShow会場内の一角で行われるVon Hot Rod主催の”Pinstriper Reunion”に参加してきた訳であります。今年も40名を超えるPinstriperたちが集まり各自そのパフォーマンスを存分に披露致しました。
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アート・オークションもあってヘルメットを出品したのですが、何と今年も私の作品が最高落札額となり、とっても嬉しい次第でございます・・・・・日本から持っていったかいがありました。
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と書いてみれば順調な出張だったようにように思えますが、全然そーじゃなかったんですな、これが・・・ブン♪ブン♪ブン♪・・・

それはShow搬入の日に起こりました。朝、PomonaのParkingで荷物を降ろしていた時、何やら右手首にチクっとした感触がありました。「まあいいや」と思いそのまま荷物を抱えて会場入り口に向かったのです。入口に近づくにつれ、手首に微妙な痛みがあるようなないような・・・入場口でパスをポケットから出すために、抱えていた荷物を降ろしたとき「アレッ、ヤッパリ手首が痛いぞ」と思い右手首を見たらそこには推定6,8mm程の針がブラーンとぶら下がっていたのでした・・・ブン♪ブン♪ブン♪蜂が飛ぶ・・・・・

その瞬間「ウギャー!!イタイ、イタイ、イタイよ」と叫ぶ変態がPomonaに一人、そうです、さっきチクっとしたのはいつの間にか蜂に刺されていたのでした!!

Mooneyes USAのChico-sanが「おい、大丈夫か、蜂に刺されたら死んじゃう奴もいるんだぞ」と暖かいお言葉を掛けてくれました、大丈夫です生きております・・・・・

そのうちプク〜っと手首が真っ赤に腫れて来て、もうイタイのなんのという感じで、薬なんか持ってるわけもなくそのままにしておきました。熱を持ってる手首はとっても重く感じましたが、どうにもならないのでそのまま2日間我慢してPinstripeを描き続けておりました。

この画像は刺されてから5日後の物ですが、いまだこの有様であります。
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蜂に刺されたのは人生で2回目の事でありまして、前回はついこの前の1987年、三浦海岸に海水浴に行った時、右人差し指をミツバチハッチに刺されたので、それ以来の出来事でした。よりによってアメリカに来てまで蜂に刺される珍しい変態・・・・また一つ素敵な思い出が出来たのであります!!!あと23年経ったら3回目を刺されて本当に死んじゃうかもしれません・・・ブン♪ブン♪ブン♪蜂が飛ぶ・・・

ということでお話は前回の続き「同じに見えても違うのさ!」になります。まずはミニカーのお話になりまして、フォード・マスタング・ファストバックになります。
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シルバーのは英国はCorgi Toys製のモデルで60年代当時日本にも沢山輸入された人気モデルでありました。そして怪しげなメタリックブルーを身にまとったのはCorgiの金型を利用してインドにて作られたMilton Mini Toysというブランドのモデルになります。形は全く一緒なのですがグリルに注目、Corgiのは実車同様お馬さんのエンブレムが輝いておりますが、インド製Miltonのは馬肉をカレーに使うのは禁止なのか、エンブレムは無くて代わりに意味不明の紅白グリルになっております・・・・目出たいぜ!!
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同じくCorgi Toys製のスチュードベーカー・ゴールデンホークは金色の塗装が素晴らしく、当時の高級車の雰囲気がプンプン致します。
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対する真っ赤なインドのMilton製はすでに使い古された金型の使用によりなんだか板金修理後のクルマという感じで、ホイールキャップも飛んでっちゃった20年以上使いまわされた中古車という風情であります・・・・でもね、今となっては本家英国製Corgiよりもインド製のMiltonのほうが貴重といえば貴重なのであります。
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そしてお次はHot Wheelsに食われるまで世界最高のシェアを誇った英国Matchbox製のロータス・ヨーロッパです。
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キャンディのようなブルーの塗装も素晴らしく、か細いタイヤが初期ヨーロッパのイメージを出しております。対してそれをコピーして作っちまったのが返還前のホンコンはZylmex製の黄色のヨーロッパであります。意味不明のフラワーパワーデカールと、超ワイドなWheelが全ての雰囲気をぶち壊し、もはやアートの域に達しております。

同じくMatchbox製の黄色いランボルギーニ・ミウラですが、こちらはリアのルーバー越しに12気筒エンジンが見えるという超凝った作りで当時大人気のミニカーでありました。
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「このミウラ人気あるからコピーしちまえ」と作っちゃったのが同じくZylmexの赤い三浦さんです。「全く同じじゃまずいからちょっと変えようぜ」と思ったのかなぜか右ハンドルに変更され(実車じゃ超貴重です)ルーバーもエンジンも省略となりました。その代わりに下品なワイドWheelで憂さ晴らししているようですね・・・・

そして今度はスニーカーです。言わずと知れたビンテージ・テニス・シューズの名品「ナイキ・フォレストヒルズ」はボルグ様の大敵「ジョン・マッケンロー」の野郎が使用し一世を風靡致しました。

左がオリジナルですが右のは超貴重なUCLAの大学別注モデルであります。ついこの前の1976年、ポパイ創刊号を見た頃「ウクラ」って何?とおもってました・・・
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寅年にふさわしい鮮やかなイエロー&ブラックのGo! With MOONなこのスニーカーは70年代の「プーマ・バナナ」というモデルになります。素晴らしく70年代的なカラーリングですが、ある時このモデルは2種類あることに気付きました。
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こっちのはつま先のところが黒のパーツで補強されていて、サイド部のロゴもPUMAの下にBANANAとモデル名がプリントされてます。
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対してこっちのは補強がなくスマートな作りで、ロゴもBANANAは入らず、PUMAだけプリントされています。
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どっちが最初に作られたのか定かではありませんが、きっと、最初はモデル名が決まって無くて、ある時担当者が3日前に残した朝食のバナナを見て素晴らしく黄色と黒のコントラストが美しかったのでバナナというネーミングに決まったと思われます、そうに決まっています。

もっと書きたい事はたくさんありますが、これ以上書くと永遠に終わりそうもないので、この手のお話はいつか再特集したいと思っております。

ブン♪ブン♪ブン♪蜂が飛ぶ・・・・・・
posted by ワイルドマン at 08:20 | 🌁 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月22日

同じに見えても違うのさ! Part.I

長年いろんな物をですね、色々と集めて行くとですね、なぜか同じものが複数あったりするんですよね・・・・好きだから二つ買ってしまったり、小心者なので一つはスペアとして押さえておいたり、はたまたありがたく神様のような方から「もういらないからコレあげる!」と頂戴したりしまして、気がつくと部屋の中に同じものが二つどころか四つも五つも・・・なんて事があり、いかんなく世捨て人振りを発揮する今日この頃のWildmanなのであります。

しかしですね、コレクターとしてはこだわって二つ同じものを意図的に揃えるという活動もしているのです。35年前にミニカーを集め始めた頃は、色違いやホイール違いに気付き「こりゃ、大変な世界にはまっちまったぜ」と思ってましたがその世界はさらに深くなり、内装色違いやベースプレート(裏板)の型の違い、さらに同じモデルでも製造国の違いがあったりと、それはそれは恐ろしい世界なのでした。

ミニカーのバリエーションなんてあまりにも膨大な数になり、全部を追っていたら8億6千万円あっても足りそうにないので、私は「限定品」のように意図的に作られたバリエーションは無視して、製造過程の都合などで偶然生まれた物をちょびちょびと追っている次第です。「この色がなくなったから、明日はあの色で塗っちゃえ」とか「この部品がなくなったから、来週は余ってるあっちの部品を付けちゃえ」みたいな感じで偶然出来たバリエーションが好きなのです。

この英国はDinky Toys社製の’60 El Caminoは同じボディカラーですが、内装色が赤とブルーの違いがあります。
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こんなのは50年近く前にDinkyの工場のラインで何となく作られてしまったに決まってます。「もう赤が飽きたから今週からブルーにしてみよっか」程度のノリで作られ、50年経ったら結果的にブルーの方が数が少ないという現象になったのです。

同じく英国製のLone Starというブランドのトヨタ2000GTですが、オレンジとブルーのシート色があります。
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こちらも、1970年のとある日、3時の工場のティータイムの後、「もうオレンジのシートはつまんないからさ、ブルーにしようぜ」と誰かが言ってそうなったに決まってます・・・・・

こちらのイタリアはMercury社製の60年代Fiat Abarthはパッと見全く同じに見えます。
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しかし変態の目で見るとある違いが見えてきます。おちょぼ口のように可愛いフロントグリルを覗いてみるとあら不思議、こっちのは縦に模様が入ってて、こっちのはツルンと何もないじゃありませんか!?
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きっと1967年のとある日Mercuryの工場で「このミニカーよく売れるから、もう1個金型作ろうぜ!」と作ったら、長いバカンスの後だったので縦模様を入れるのを忘れてしまったのです、そうに決まってます。縦模様の方はついこの前の1979年に横浜で入手しましたが、1992年にツルンの方を都内のミニカー屋さんで発見した時は興奮して知恵熱が出てしまいました・・・

さらに1970年代イタリアはWegatoys製の1/12スケールの巨大なランボルギーニ・ミウラは全く同じに見えます。
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でもこれには決定的な違いがあるのです。
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何が違うって?聞いてびっくり、左のは電池によるモーター走行が楽しめるモデルですが(ライトもピカピカ点くよ)右のは何とラジオだったのです・・・・ダイヤルが付いてるからスピード調整のスイッチかと思ってたらミウラの形をしたラジオでした。きっと1972年のとある日、Wegatoysの工場で、セリエAの実況中継が聞きたくなり、ラジオのミウラも作ってしまったのです・・・・そうに決まってます。

またもやイタリアはPolitoys製のランボルギーニ・ウラッコとデ・トマソ・パンテーラなのですが、散々イタリアで金型を酷使された後、海を越えて金型はメキシコにたどり着きました。そしてお疲れになっているにもかかわらず、もうひと儲けという事でライセンス生産にてマクレガーというブランドで現地生産されました。左の画像、オレンジとブルーのが本家イタリア製で、右の白いの2台がメキシコ野郎になります。国境を越えた義兄弟なのであります。
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そして我が日本では伝説のミニカーブランド「大盛屋」がついこの前の昭和40年にあえなく倒産してしまいました。しかしその金型を引き継ぎ、米澤玩具が「ダイヤペット」ブランドにて何点かの大盛屋モデルを再生産しました。というかその時点でまだ新金型のミニカーが出来てないので、「手っ取り早くある物で作っちまえ」というノリで作ってしまったに決まっています。

こうして昭和40年の8月にダイヤペット1号車として発売になったのがプリンス・グロリア(ハチマキ)でした。力道山先生がお亡くなりになられてからの発売でした。ちなみにオリジナルの大盛屋のは昭和38年2月発売でした。つまり力道山先生存命中であります・・・・

左の2台が大盛屋で、右の2台がダイヤペットになります。
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全く同じに見えますが、ホイールやホワイトリボンの形状が微妙に違うのですな、参ったか!!!!!
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さらに大盛屋がすごいのは、この黒のグロリアはエラーモデルなのでした。エンジンが別体で作られてるのですが、この個体はグロリアのエンジンじゃなくって何とまあ日産セドリックのエンジンが積まれてしまっているのでした!!!
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昭和39年のとある日、大盛屋工場で入社半月のパートのオバさんが、東京オリンピックの中継を見ながら昼食を食べた後、満腹で寝ぼけてしまい間違って1ダースだけセドリックエンジン搭載グロリアを作っちゃいましたが、工場長に怒られるのが嫌でそのまま出荷してしまったのです・・・きっとそうに決まってます!!日産とプリンスが合併前に、このようなオシャレな悪戯をしてしまったオバさんは素晴らしいセンスの持ち主なのでした。


ということで今回はまだ話し足りないので次回に続きますのでお楽しみに!!
posted by ワイルドマン at 19:57 | ☁ | Comment(9) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月09日

30年なんてあっという間、2040年も宜しくお願い致します!!

変態の皆様、明けましておめでとうございます。2010年もどうぞ宜しくお願い致します。

まったくついこの前、21世紀になったと思ったらあっという間に2010年ですね。本当に2000年なんてのは先月の事としか思えませんが、気がつけば10年も経っちゃいましたね???地デジ化まであと一年であります。しかし我が家のテレビは1997年製、いまだ買い替えずに使っております。だって壊れないんだもん???どうせテレビなんてあんまり見ないし、部屋でミニカー磨いていた方がよっぽど楽しいし、そんなもん買い替えるくらいなら大好きな国産アワビでも食べてた方がずっと良いのです。もしかしたら我が家のテレビには起爆装置が付いていて、来年地デジ化とともに爆発するかもしれませんが???

変態化し始めた中学生の頃からですね私のテレビ離れは進んでおりまして、クラスメートが夢中になっていたテレビ番組「ザ?ベストテン」や「西遊記」「夕日ヶ丘の総理大臣」などには目もくれず、6畳の部屋で王冠の裏にスーパーカーがプリントされていたコカ?コーラ片手に”Car Graphic”や”Auto Sport”誌、「月刊ミニチュアカー」誌等を読みふけっていた健全なる中学生でした。

そんなつい32年前の1978年の事ですが、この年は横浜スタジアムがオープンし、ヤクルトスワローズが恐怖の広岡監督の元、初の日本一に輝きましたね。そんな事はどうでもいいのです!!スーパーカーブームを落ち着きを見せ始めたついこの前の1978年にですね、少年Wildmanは一大決心したのであります。

1978年6月にいつもの本屋さんに行くとCar Graphicの最新刊が並んでおりました。その表紙を見た瞬間、健全なる変態少年に衝撃が走ったのでした、君の瞳は10000ボルトだぜ!!

「な、なに?この美しい車は、こんな車知らんぞ!!」と表紙に燦然と輝くブルーのスポーツカーに釘付けになりました?????

ミニカーで実車をお勉強し、ある程度旧車の知識も身に付け’60年代のフェラーリの車名も理解していたはずの少年マニアは自分の知らないその車を見てショックと感動を覚えたのでした。

「世の中に俺の知らないこんなにも美しいクルマがあったなんて???不覚だったぜ、反省だな」と激しい自己嫌悪に陥りました。これ以来クルマに関しては「実車よりもミニカー、運転やメカの勉強よりも自動車史が大切」と思い込み、クルマの楽しみ方は「歴史の研究とミニカーがメイン」と決めて2010年に至るわけであります。

目指せ、五十嵐平達先生!!

そんな変態に衝撃を与えたのは、このCar Graphic 1978年7月号の表紙を飾った美しすぎるクルマ「Pegaso Z-102B」なるものでした。
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ペ、ペガソってな〜に??どこの国のクルマ、変な名前」と分からない事だらけでした。さっそくカーグラの解説を読んでみるといろんな事がわかりました。アルファ・ロメオの技術者だったスペイン人のウィルフレド?リカルトなるなる人が1950年代に故郷に帰って設計?製作した超ド級のスーパーカーがペガソであるということ。「スペインは貧乏だ、だから世界の金持ちのために宝石を作らなければならないのだ」という変態的な信念のもとに製作されたのが高価で珍しい宝石のようなクルマ、それがペガソであるということ。グランプリカーのようなメカニズムを持ち、1953年当時、キャデラックが$13,000、ロールス?ロイスが$19,000だった頃、ペガソさんは$29,200という途方もないプライス?タグをぶら下げていたことなど、何はともあれとんでもないクルマだということが分かりました。顧客リストにはペロン大統領、イラン国王、ポルトガル大統領らが名を連ねていたのもうなずけます。エンジンも90°V8はカムギアトレインのDOHCで、ドライサンプのオイルは12リットルという大袈裟なメカニズムで、設計者リカルトが理想を求めてまともに運転出来ないような無茶苦茶なクルマを作りあげたことが伺えますね。だって1950年代の事なのですから????

「しかし、美しいなこの車は、日本にあるのかしら??」と思ったら、カーグラに出てるブルーのクルマそのものが日本にあるとの事でした。

K氏というヘビー級のマニアが1976年にスペインから持ち込んだ個体でたったの6000マイルしか走っていない超オリジナルな車輛でした。そんな凄いクルマがそれ以来ずっと日本に生息していたのですが、数年前売りに出されていました。雑誌広告に何とたったの3,000万円くらいで出ていましたが、不肖Wildmanはたったの3,000万円が用意出来ずに涙をのみました???だってその値段じゃ安いんですって、くだらないフェラーリを買うくらいなら絶対ペガソの方がいいんだって!!(自論)案の定、貴重なスペインの宝石は海外に流出してしまいました…残念。

それにしてもいつもミニカーで先に予習をしてから実車を覚えていたのにペガソだけは勉強出来なかったのが不思議でした。なんてことはない1978年当時まではまともなペガソのミニカーなんて出ておりませんでした?????実車のペガソをお持ちだったK氏はあるコレクターから「もし貴方が、どこかでペガソというクルマと巡り会う機会があったのなら、いかなる努力をしてでもそれを手に入れるべきだ」というアドバイスの元、実車のペガソを手に入れられたようです。

それならば変態としては「当時物オモチャのペガソをいかなる努力をしてでも手に入れて見せましょう」の信念の元、活動を始めました。するとですね1950年代のモーターマガジン誌に大先輩ミニカーコレクターA氏のコレクション記事を発見しました。その中にですね出てるじゃありませんかペガソのオモチャが!!それは1950年代に作られたアメリカのIDEAL社製のプラモデルでして、まさにカーグラに出てるあのZ-102Bと同じ形をしていました。
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「ウォー、ペガソだ、ペガソの当時物オモチャだ、これ欲しいぞ!!」と騒ぎ始めてからこのプラモを手に入れたのはそれから30年近くが経過してからでした???まあ30年なんてあっという間ですがね???

このグレーのがまさに50年以上前のIDEAL社製キットでありまして組み立て済になります。50年前に誰かが組み立てたのでしょうか???こっちのグリーンのが未組み立てのキットですが、IDEALの型を利用して6〜70年代に再生産された物になります。
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さらに研究してゆくと、60年代にスペインのAnguplasというブランドからHOスケールの超ちっちゃいプラスチック製のミニカー?が作られておりました。全長3センチ程の小粒なモデルですが、エンブレムまで刻印されている素敵なオモチャなのです。しかもカーグラのK氏の実車と同じようなブルー色!!素敵だぜ!!これだからミニカーはやめられませんな!!
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こうして実車とミニカーをじっくりと研究して行くと30年くらいあっという間なんですよね。

本当に???30年後、2040年の暖冬なお正月も、こうやってクルマとミニカーのお話をしていると思いますので宜しくお願い致します。
posted by ワイルドマン at 08:35 | ☀ | Comment(5) | TrackBack(0) | 日記

2009年12月19日

怒涛の3週間、雨の慕情カリフォルニア編

皆様、お久しぶりでございます・・・・・

言い訳なんですけれど、ここ数週間、
Hot Rod Custom Show & Mooneyes USA X-mas Partyの
「2大イベント猛烈に忙しいぞweek」がありまして、不肖Wildman
身動きが取れなくなってしまい、ブログが音信不通となった事を深く
お詫び申し上げます。本当にすみませんでした。
(だってどうにもならなかったんだもん・・・)

ということで12月6日に横浜にて開催された18回目のHCSでしたが
過去最高のエントリー数と13000人overというこれまた過去最高の
入場者の方々にお集まりいただき、HCS史上最大級のイベントと
なりました。皆様本当にありがとうございました!!!!
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Pinstripe Gatheringにも35人のArtistが参加となり、こちらも過去
最高の規模での開催となりました。うれしゅうございます・・・
我がブースにも変態の同志にお集まりいただき、楽しいひと時が過ごせました。
もちろんPinstripe Challengeも大盛況でしたよ!!
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何が何だか分からないうちに通り過ぎてしまったHCSでしたが、
その前の3週間は本当に何が何だか分かりませんでした。
HCSに間に合わせなければいけない仕事が溜まり過ぎてしまい
一時コントロール不能な状態に陥りましたが、そこは変態の真骨頂を
見せて無事切り抜けました(実は必死だったのですが・・・)

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こんなVW Type IIのサインのお仕事もいただきましたが、Mooneyes
のBusのクローンであります。
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何と右ハンドルのヤナセ物のレア車輛はMoon Equipped仕様となり、
ショーの後にオーナーの元、大英帝国に旅立ちました。
日本で40年以上暮らしたあと、ヨーロッパに戻るなんて数奇な運命
ですよね。

そして怒涛のHCS Weekが終わったあとは、我が愛機大韓航空にて
アメリカに旅立ち、Mooneyes USA X-mas Party Show & Dragに参加
して来ました。
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ここでアメリカの皆様にお詫び申し上げます。私が行くとこうなることは
ある程度予測出来ていたのですが、今回はあまりにも強烈過ぎました・・・
ワイルドマンならぬスーパーレインマンの異名を持つ奇跡の雨男が
渡米したとたん、ロスアンゼルス近郊は雲行きが怪しくなり、イベント
当日の12日はびっくり仰天の大雨となってしまいました。
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このような大雨
がこの地域で降ること自体が珍しく、私の神通力はもはや完全に神の
域に達してしまったようです・・・
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しかしですね、このような悪天候にもかかわらず、当日は何と500台を
軽く超えてしまうエントリー車が集まり、ベンダーの皆様もきちんと出展して
くれて、晴れの日と同じような規模で開催する事が出来ました。

雨の為、残念ながら名物のDrag Raceは中止となってしまいましたが、
あの状況の中であれほど多くののMooneyes Fanに集まって頂けるとは
感謝感激でありました。
現地の方々も口をそろえて「これだけ雨が降っているのにこんなに車や人が
集まるイベントなんてありえない!!」と言われておりました・・・
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2009年、雨の慕情Mooneyes X-mas Partyはきっと伝説のイベントとなる事
でしょう。そしてその伝説にWildmanが加担したことは言うまでもありません・・・
アメリカの皆様、本当に申し訳ありませんでした。

謝っているばかりの今回のブログですが、お次は御礼となります。
話は戻ってHCS当日の事なのですが、イベントもいよいよ佳境に入り、
表彰式が始まる頃でした。Pinstripe Challengeも一段落しブース内で
お客様とお話をしていると、突然表彰式の行われているステージに
呼び出されました。
「何だろ急に、ブログ講座でも一席設けろと言われるのかしら?そりゃ
嬉しいぞ!!」と思いながらステージに向かいました。
するとですね、そこには4人のPinstriperの皆様も来ていました。
Shakin’ Speed Graphixの清水さん、T’s Designの田中さん、M&Kの
Makoto君そしてMr,Gこと後藤君ら4人が何やら神妙な顔をして立って
おられました。
「やばいぞ、HCSでしゃべってばかりいないでちゃんと仕事をしろ!」と怒ら
れるのか「いつもブログばかりやってないでちゃんと仕事をしろ!」と問い
詰められるのかと思ってしまい、小心者はビビリまくりました・・・

するとですね4人の代表で清水さんがマイクを持ってしゃべり始めました。
ビビリながら聞いていると、何やら私のこの20年のPinstriperとしての
活動を讃えてくれているようで、怒られるのではなくて褒められているよう
な感じがして来ました・・・・ちょっと安心。
そして皆様とステージに上がったのですが、そこでびっくりのサプライズと
なりました。何と4人の激ウマPinstriperの方々の合作となるウルトラ
スーパースペシャルなMoon DiscをWildmanのPinstriperとしての活動
20周年記念としてプレゼントとしていただいてしまったのであります!!!!
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猛烈に感動してしまいその場で泣いてしまおうと思いましたが、小心者
なのでやっぱりやめました・・・・
いや〜嬉しかったです、本当に!!だって普段は人にあげる物はしょっちゅう
描いておりますが、まさか自分がそういった物をいただけるなんて思っても
みなかったので・・・・本当にありがとうございました!!
4人の凄腕によるこのような合作なんて世界にこれ一枚だけですよ。
もう嬉しすぎて声も出ませんでした(本当はマイクを持って何か喋りたかった
のですが、残念ながらマイクを持たせてもらえませんでした・・・)

この夏のStudio20周年記念イベント(Ace High )に多数の方々に足を運んで
いただけただけでも嬉しかったのに、年末にこのようなサプライズが待って
いたとは・・・・・まったくもって2009年は思い出深い一年となりました。
これを機に来年もPinstripeとブログ活動に全力投球で、ベイスターズも
奇跡の優勝となる次第であります(本当だよ)















posted by ワイルドマン at 10:00 | ☔ | Comment(5) | TrackBack(0) | 日記

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