2009年11月07日

「栄光のポンコツ車」はギャングセブンじゃないぜ!!

先週末は第20回クラウンピクニックが無事開催されました。
Bentley-001.jpgBentley-002.jpgBentley-003.jpgBentley-004.jpg

90台を超えるオールドクラウンが集まり、それはまさに「変態のつどい」じゃなくって「クラウンマニアのマニアによるマニアの為のつどい」となりました。

ついこの前の1990年11月18日に保土ヶ谷の山のてっぺんで行われたささやかなイベントが20回も続くとは、その場にいた私も感無量であります。

そしてMoon Illustrated vol.4が発売となりました。
mim4-h1.jpg

表紙はばっちりポーズが決まったZZ TOPのビリー・ギボンズで中身はばっちりミニカーで決めたWildmanページがありますので早いとこ本屋さんにGo!!なのであります。やっぱり全巻揃えないとね!!

そして風立ちぬ今は秋「読書の秋」なのです、やっぱり活字は素晴らしい!!

とっても狭い(なぜか自然と狭くなった)部屋の本棚から久々に一冊の小説を取り出してみました。こうなると半日で一気に読んでしまいます・・・ハードカバーのその本は全くついこの前である1975年に小学5年生のWildmanが親に買ってもらった物なのですが、岩崎書店のジュニアベストノベルズ「栄光のポンコツ車」という本なのです。
wildman1107-2.jpg

「ブルース・カーター作」原書名は”SPEED SIX”となっていて外人さんが書いた本というのは理解出来ました。

そんなことよりも表紙に描かれた躍動感あふれるクラシックカーのイラストに惚れて買ってもらったことを覚えております。中身はというとまず翻訳者さんの前書きで「双葉山と北の湖とはどちらが強いかな」という切り口に時代が感じられます。

まあ、戦前の大横綱双葉山と、現役の北の湖なんてついこの前の話ですが・・・つまりですね大昔活躍したレーシングカーが現代のレースに出て最新の車とル・マン24時間レースで戦ったらどうなるのかというお話なのです。

主役となる大昔のクルマはイギリスの「ベントレー スピード・シックス」で1930年前後にル・マンで5回も優勝している横綱車輛で、あまりの大きさとパワーで当時は「世界一速いトラック」などと呼ばれておりました。

そして相手となるのはこのお話の舞台が1950年代なので、当時の最新レースカーであるメルセデスやジャガーがモデルになっているのですが名前は変えられていて架空のクルマになっております。

戦前のベントレーはのちにロールス・ロイスに吸収されてしまい、バッヂだけ変えられてオーナー・ドライバーズカーになり下がってしまったベントレーとはわけが違い、大排気量エンジンを持ち、さらにスーパーチャージャーで武装した物もあった超ハイパフォーマンスカーだったのです。

元巨人軍のMが先輩に感化されて勘違いで買ってしまったベントレーなんかとはわけが違うのです。どうでもいいことですけど・・・・

本の内容は「年寄りの冷や水」的な展開なのですが、ル・マンのレース描写が物凄くて、とてもジュニアベストノベルズという子供相手の本とは到底思えないような迫力なのであります。クルマ好きにはたまりません。単細胞な私はすぐにこの本に感化されてしまい、小学生のくせに「1930年代のベントレー最高!!スピード・シックス万歳!!!」となってしまいました。

スーパーカーブーム以前にビンテージ・ベントレーに陶酔する変態小学生が出来上がってしまったのです・・・・

そして元巨人のMのようにベントレーを手元に置いたのです、ミニカーですけれども・・・・・

「ウヒヒ、カッコいいなベントレー、このでっかいグリルがたまらんぞ、ミウラよりも20倍くらい美しい」と小学生の変質者は満足していました。

このマッチボックスのベントレーは1976年のお年玉を駆使し、元町の千代田ママストアで入手以来ずっと変態と一緒なのです。
Bentley-005.jpg

あとのヤツは大人になってからの入手ですが、どれも1960年代に作られたミニカーでビンテージ・ベントレーの迫力満載であります!!
Bentley-007.jpg

そして小学5年生の変態は図画工作の時間に思い余って1929年式ベントレーを描いて堂々と先生に提出してしまいました。これはまさに「栄光のポンコツ車」リスペクト作品であります。先生もこの迫力におびえたのか”A”という評価をいただきました!!!
wildman1107-1.jpg

ありがとう伊丹先生・・・・

これが手元に残っている書道以外のWildman最古の作品なのであります。どーだ参ったか、栄光のポンコツ車、ベントレー最高であります!!!
posted by ワイルドマン at 08:25 | 神奈川 雨 | Comment(5) | TrackBack(0) | 日記

2009年10月31日

力道山先生の足跡を訪ねてPart.II

秋晴れの中、おととい出張Paintに行って来ました。

私のような小心者はプライベートでも仕事でも絶対に遅刻なんかしないので(ムーンアイズ営業部:松浦君よく聞いておくよう・・・・)約束の1時間15分も前に現場付近に着いてしまい(早過ぎます)仕方がないので高速道路のSAにてコーヒーブレイクを敢行し、朝焼けの中一人ベンチに座ってほろ苦い缶コーヒーをすすっておりました。

するとですね、あっちの方から何やら小さな青い物体がこっちにやって来たのです。「むむ、なんだあれは」と思っていると、青い物体は私のほうめがけて進んで来てピタっと目の前に止まったのです。次の瞬間私は「ウオオオオ〜」と叫びコーヒーを吹き出してしまいました。小さな青い物体はスバル360だったのです。いやスバル360なんかちっとも珍しいクルマじゃないのですが、そいつはただのスバルなんかじゃなくってなんとまあ初期型の超レア車「デメキン」スバルだったのです!!!
Demekin-001.jpgDemekin-002.jpgDemekin-003.jpgDemekin-005.jpg

「ここここ、これは一体何なんだ、夢か幻か本当に頭がおかしくなったのか?」と思いましたが、現実に目の前にあるのは紛れもなくデメキンなのでした。いや〜、イベントや博物館なんかで見たことはありますけど、実際に高速道路を走って現れたデメキンなんて生まれて初めて見ました、凄過ぎます!!

オーナー様に「私は決して怪しいものではありません、ただの変態です」とことわった後、写真を撮らせて頂きました。デメキンヘッドライト、スライドウィンドウ、素敵な書体のエンブレム、蜜をかけて食べてしまいたいくらいかわいいテールレンズ等々初期型のディティールにしびれまくり、失神しそうになりながらも無事撮影を終えました・・・・お話しを聞くと’61年型との事で、ウチのおやじのファーストカーとほぼ同じモデルでした(2008年2月22日Wildman’s Blog参照)

オリジナルで程度も良いそのデメキンさんは、快調な2ストサウンドと白煙をまきちらしながら朝焼けの中、高速道路のかなたに消えて行きました。その日は仕事を終えて家に帰ってから、朝会ったのと同じブルーのブリキのデメキンさんを見てウットリしながら就寝致しました・・・・zzzzzzz
Demekin-006.jpgDemekin-007.jpg

ということで唐突に力道山先生なのであります。だって先週からの続きなんだもん・・・

前回のブログでご紹介した、日本橋は人形町の「プロレスリング・センター」力道山道場跡及び渋谷は道玄坂の「リキ・スポーツ・パレス」跡を取材撮影した後に向かったのは、赤坂見附でありました。赤坂の地は先生が「リキ・アパートメント」や「リキ・マンション」をお建てになり、リキ王国を築こうとしていた土地なのであります。しかしそこは先生が命を落とした地でもあるのでした・・・・・

昭和38年12月8日は力道山先生の運命の分かれ道でした。前日に浜松でデストロイヤー(噂のチャンネル)らと年内最後の試合を終えた先生は夜行列車で8日に帰京しました。しかしこれは本来の予定ではなく、急用により東京に戻られたのでした。日本相撲協会から「大相撲アメリカ巡業に力を貸して欲しい」と頭を下げられて頼まれ、元「関脇力道山」はこのお願いの為に急遽予定を変えて東京に戻ったのです。元々相撲に裏切られる形で角界を飛び出しプロレスラーに転身して成功した先生にしてみれば、相撲協会から頭を下げられるというのは痛快だったのでしょう・・・・

この日、相撲協会との打ち合わせを終えた先生は夜の赤坂の街に繰り出しました。プロレスの打ち上げも兼ねていたので多数の取り巻きをひきつれた先生はほろ酔い気分になり「もう一軒行こう!!」となりました。この時「コパカバーナ」というクラブに行く予定だったのですが、ちょっとしたことから先生は気分を害し「やっぱコパはやめだ、ラテンに行こうと」急遽行先を「ニューラテンクォーター」という超高級クラブに変更したのです。
riki-scan02.jpgriki-scan03.jpg

ニューラテンクオーターというのは昭和30年代から40年代に掛けて全盛を誇ったお店で、海外から大物エンターテイナーを招致していてサミー・デイビス・ジュニアやザ・プラターズ、ダイアナ・ロスまでこのお店に出演していました。政界、芸能人、スポーツ選手、そしてヤクザさんが利用する「座っただけでウン万円」のお店のはしりで、力道山先生もよく御利用されていました。
riki-scan01.jpg

先生はラテンで程よく酔っ払って、ロビーの方に行かれそこでホステスさんと立ち話をしていました。するとそこにトイレに行こうとしていたヤクザ屋さんのM氏が先生の横を通り「足を踏んだ、踏まない」で口論になりました。短気な先生はM氏をぶっ飛ばしてしまいました。3mくらい飛んだそうです。そして馬乗りになってボコボコにしているとM氏が下からナイフを突き出しました。以前M氏は外人プロレスラーとケンカしてひどい目に会っていたので殺されると思ってのことでした。そりゃプロレスのチャンピオン力道山に馬乗りになられれば正当防衛ともいえますよね・・・・

腹部を刺されてしまった先生はその後、ラテンや病院で大暴れした後、早朝になってやっと手術を受けました(もっと早くしておけばよかったのに・・・・)先生にとってみればたいしたキズでもなく、その後入院し驚異的な回復を見せていましたが、突如腹膜炎を起こし再手術をするも、先生は旅立たれてしまいました、合掌・・・・ついこの前の昭和38年12月15日のことでした。
riki-scan05.jpg

こうして戦後のスーパースターである力道山先生はあっけなく皆の前から姿を消してしまったのです。

その後、昭和の時代は先生の死についていろいろ言われ「入院中にコーラを飲んで死んだ」とか「リンゴを食ってしんだ」というバカな話がまかり通っていました。しかし平成になって先生の死の真実がやっと突き止められました。

ハイ、単なる医療ミスでございました。入院していた病院で麻酔時に筋弛緩剤を使用した際に気管内挿官に失敗して無酸素状態が続き、呼吸が出来なかった(人工呼吸をしなかった)というもので意識があるのに呼吸が出来ないという何とも恐ろしいものなのでした。先生が可哀そう過ぎます・・・・

下記の本に詳しく解説されておりますので皆さまも「麻酔と蘇生」を研究して下さい。
1031_.jpg

先生の没後46年が経ちましたが、運命のお店「ニューラテンクォーター」もすでにこの世には存在致しません。

ラテンはあの大惨事(火災)
riki-scan04.jpg
を起こした「ホテル・ニュージャパン」敷地内の地下にあったのです。現在その跡地には「プルデンシャル・タワー」というこのような高層ビルに生まれ変わっておりました。近くには六本木ヒルズもあって、現在の景色からはラテンがあった頃の昭和30年代の風景は想像もつかないような感じになっています・・・・
Riki-Palace-003.jpgRiki-Palace-002.jpg

先生がリキ王国を築こうとしていた赤坂周辺は現在では先生の目論見通り立派な街になっております。さすが力道山先生であります!!
posted by ワイルドマン at 09:41 | 神奈川 雨 | Comment(5) | TrackBack(0) | 日記

2009年10月24日

力道山先生の足跡を訪ねて・・・Part.1 力道山先生の足跡を訪ねて・・・Part.1

秋らしいとってもいい天気が続いているので、とってもいい気分になりまして
この前のお休みの日に早朝ロケを敢行し、力道山先生の元を訪ねることにしました。

久々の東京巡業でしたが早起きして先生の所に行くのは全く苦になりませんでした。
まずはお江戸日本橋方面にGo!となりまして、誰も歩いていない早朝の人形町は久松警察署前の
大通りをトボトボとデジカメ片手に歩く変態が一人・・・
「大丈夫です、私は怪しいものではありません、ただのマニアです」とおまわりさんの前を通過する時、
心の中でつぶやいておりました。
Riki Palace 001.jpg
そしてNTT茅場兜営業所に無事到着、今日は東京まで電話料金を支払いに来ました。
じゃなくってここなんですよ、先生がいらっしゃったのは!!!

そう、ついこの前の昭和30年7月8日にこの場所に「プロレスリング・センター」力道山道場が
完成したのであります、一度も見てないけど・・・・
riki-palase-012.jpg
当時のお金で総工費7500万円も掛けた5階建てのビルは道場のほかに合宿所、事務所、ニュース映画館、プロレステレビ中継用の観覧席も有るかなり豪華なビルなのでした。
そう、あのジャイアント馬場が巨人をクビになり大洋ホエールズ移籍もケガでプロ野球を断念、そしてプロレスに入門する為に訪れたのもこのプロレスリング・センターなのでした。

わが大洋に残っていればこの昭和35年は大洋ホエールズが初優勝した年だったのに・・・
でも力道山先生の弟子になったおかげで馬場さんはあのようなプロレスという新たな職に就けスーパー・スターになれましたね。
もはや元プロレスリング・センター周辺はビルばかりで当時の面影も無く、
まさかここに力道山道場が
あったなどとは誰も思わないでしょう・・・・・

そしてお次は渋谷に移動となりまして、渋谷駅の裏から道玄坂をトボトボと歩く時間のいたずらで力道山道場に入門出来なかったマニアが一人・・・・
朝早すぎてこんなに人が歩いてない渋谷は初めてです。
つい28年ほど前、生まれて初めて行ったディスコ(死語)もこの界隈でしたが、その時に履いて行った憧れのアメリカ製スニーカー「ナイキ・テラTC」はまだ持っています・・・どうでもいいですけど。

さて到着したのは坂道の途中にある総ガラス張りの「ヒューマックス渋谷ビル」であります。
Riki Palace 006.jpgRiki-Palace-005.jpgRiki Palace 010.jpg
でもこのビル自体には何の用事もないのです。しかしここは先生にとってとっても大事な
場所だったのです。
全くついこの前である昭和36年7月30日、この地に力道山先生の夢のプロレスの
殿堂が完成したのであります!!
riki-palase-014-.jpgriki-palase-015.jpg
その名も「リキ・スポーツパレス」という巨大な施設で当時
のお金でなんと15億円!!!を投じて作った物でした。地上9階地下一階、述べ2千坪
のビルは屋上をドーム場のデザインにしてっぺんには王冠が輝くという昭和趣味の豪華
絢爛デザインなのでした。
基本的にはプロレスのTV中継が出来る常設会場になっていて(2千人収容)力道山
道場とリキ・ボクシングジム、ボディービルジム、事務所も併設されていました。
さらに日本に入ったばかりのボーリング場、ビリヤード、スナックバー、レストラン、喫茶店、
チャームスクール等も入っていて極めつけは「リキ・トルコ」も入っていたのです・・・・
riki-palase-013.jpgriki-palase-011.jpgRiki Palace 009.jpg
でもこれはムーンアイズ営業スタッフ松浦君の好きな○ープランドではなくて、
スチームサウナなのでした、安心して下さい。
まだ日本では珍しかったボーリングや建物内部のデザイン、会場内のスポンサー看板
設置等は力道山先生がアメリカで見て吸収してきた物で、それらを具現化してしまう
所はさすが先生なのでした。
プロレスを始めて10年、このとき力道山先生は36歳・・・凄過ぎます。
ピンストを始めて20年、このときワイルドマン45歳。・・・・変態過ぎます。

リキ・スポーツパレスは完成後、当時隆盛を極めるプロレスのメッカとして昭和の人たち
に親しまれ、ボクシングの試合や歌謡ショーなどにも使われ、力道山の城として渋谷の
街にそびえ立っていたのです。
rili-palase-016.jpgriki-palase-017.jpg
しかし先生の死後、日本プロレスはこのビルを維持する事が出来なくなり、昭和41年
2月にリキ・スポーツパレスは売却されてしまい、以後キャバレーとして第二の人生を
歩む事になったのです。もちろん屋上の王冠ははずされてしまいました・・・・
そして建物が老朽化し、平成4年に先生の城は解体されてしまい、2年後に現在の
ヒューマックス渋谷ビルに建て替えられたのでした。サヨウナラ、リキ・パレス・・・・・

先生の死後46年が経過し、もはや力道山の足跡は殆ど残っていないのです。
しかし次回ブログは無理やりPart.2への展開となりますので心得ておくように。

posted by ワイルドマン at 10:00 | 神奈川 曇り | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2009年10月10日

チャオ!イタリアでルパンIII世だ!!

皆様お久しぶりでございます。9月はブログの更新がなかなか出来ず大変御迷惑をお掛け致しました・・・・・・本当にすみません。実はですね不肖Wildman、人生初のヨーロッパ出撃となりましてですね、芸術の国でもありとっても適当な国でもある?イタリアへ行って参りました。

どうだ、まいったか!!!ぜんぜん参りませんよね・・・・・そうなんですよ9月末にですねイタリアはミラノで”Kustom Kulture Art Show”というその名もズバリArt Showが開催されまして、そちらに招待された日本人4名で乗り込んで来たのです。
fiat500 001.jpg

M&K Custom SignsのMakoto君、Mr.G君、私Wildman、そしてKustom Kultureといえばこの人Nash氏も同行し、計4人でのイタリア巡業となりましたが、詳しいレポートは「芸術と落書きの国、イタリア浪漫紀行」として先週のMooneyes Mail Magazineに掲載してありますのでみんな読んでますよね!? 何、読んでない???そんなマニアじゃない不謹慎な方はとっとと登録して早く読んで下さいね!!!
でも今回はSpecialでお見せします!実は見てもらいたい??)

そうそう、Nash氏といえば”Burnout Magazine”ですがこのほどめでたく創刊10周年記念号が出版されました。おめでとうございます!!!

この号にはこの夏に開催したMooneyes Signs & Pinstriping Studioの20周年記念イベント”AHOOW”のレポートを何と4ページも割いて掲載して頂きました、本当にありがとうございます!!

思い起こせばついこの前の1999年創刊号にも私のインタビューを掲載して頂いておりまして、何だかんだで10年のお付き合いとなり、Nash氏と初めて会ってからは何と18年になります(しかも会ったのはボンネビル)

こうなったら10年後の20周年記念号にも出して頂きたいと思いますので宜しくお願いします!!

そして唐突ですがイタリアといえばフィアット500なのです。500のイタリア語読みである「チンクェチェント」の愛称で親しまれたイタリアの国民車はルパン三世の愛車でもありますよね。ちなみにこれはイタリアで会ったルパンです・・・
fiat500 011.jpg

チンクはついこの前の1957年に登場してから何と1977年まで20年間も生産された長寿車両であります。鬼才ダンテ・ジアコーザの設計となるモノコックボディのリアエンジン・リアドライブ車はオモチャのような空冷2気筒479ccエンジンを積んで、大変ユーモラスなデザインもあってイタリアはもとより世界中で人気ものとなりました。
fiat500 007.jpgfiat500 008.jpgfiat500 003.jpgfiat500 004.jpg

そして21世紀には新世代のフィアット500が生まれましたが、これはNew BeetleやNew Miniのデザイン同様、そのデザイン・コンセプトを昔のチンクに求めていますね。
fiat500 005.jpgfiat500 006.jpg

今回イタリアに行った際、きっとたくさんの旧チンクに会えるだろうと期待していたのですが、ミラノやローマの街ではたったの5台しか見掛けませんでした・・・・さすがに製造中止から30年以上が経過し、あれだけたくさんイタリアに生息していたチンクもすでに息絶えていたようです。代わりに新しいフィアット500は結構見ましたが・・・・

ミラノの空港ではNewアバルトが展示されていましたが、これはカリスマ店長のお気に入りでありまして、店長次期愛車候補の筆頭なのです。早くサソリマークのアバルトをゲットし蠍座の男になって下さい・・・・
fiat500 002.jpg

それにしてもマスタングをチューンするとコブラのマークが付いてShelbyとなり、フィアットをチューンするとサソリのマークがついてAbarthとなってどっちもこっちも改造車は咬まれたり、刺されたり痛そうですな・・・

昔の”Fiat Abarth”といえばチューニングの神様「カルロ・アバルト」の手により何の変哲もないチンクが、アバルトの工場に入ると猛烈にホットなクルマと化し、サソリのエンブレムが付いてマルミッタ・アバルトの強烈なサウンドとともに飛び出してくるという、まさにカーグラの世界なのであります。
wildman-1010-1.jpg

10年以上前なのですが愛車Mustang GT350で国道16号線、鶴ヶ峰付近を激走中、反対車線に赤い小さなクーペを発見、よく見ると何とフィアット・アバルト・スコルピオーネではありませんか!!!とてもスピンターンを決める腕はなかったのでゆっくりとUターンし、スコルピオーネを捕獲しました。じゃなくって信号待ちの時にオーナー様に声を掛けてクルマを見せてもらったのです。変なアメ車が追って来たのでオーナー様はすごく驚いていたのですが、「怪しいものではありません、ただの変態です」と言って納得してもらいました。
wildman-1010-2.jpg

そのスコルピオーネは60年代アバルトのディーラーだった「山田輪盛館」が輸入した2台のうちの1台の生き残りで、塗装名人中沖満氏の名著「力道山のロールスロイス」にも出てくるクルマだったのです!!!(Wildman’s Blog 2008年1月4日参照)山田輪盛館のディーラープレートも残っていて、とても貴重なクルマを十分に堪能させて頂きました。オーナー様、その節はありがとうございました!!

それはそうとWildman的にはアバルトも実車より当時物ミニカーなのであります。チンクベースのアバルトとして595esse-esseや695esse-esse等がありますが、ちゃんとミニカー化されていたのです。イタリアはMercury社製1/43の595SSは2本出しのマルミッタ・アバルト(アバルトマフラー)やサソリのデカールで盛り上げていてちゃんとアバルトしています。
fiat500 012.jpgfiat500 013.jpg

さらにHot Wheelsのマテル資本になってからのイタリアはMebetoys社1/43 Gran Torosブランドのはさらに排気量アップした695SSをモデル化してます。タイヤもHot Wheels流にぶっとくなり、ホイールはカンパニョーロをイメージしていて、もちろんマフラーもサソリマークも再現されています。マスタードイエローのボディーカラーがとっても素敵です!!
fiat500 014.jpgfiat500 015.jpg

でっかい1/25スケールでもモデル化されていて真紅のイタリアPolitoys社製は巨大なサソリマークが迫力満点の595です。
fiat500 016.jpgfiat500 017.jpg

今度はスペインのNacoral社製で595のモデル化だと思われます。超ワイドホイールと、4連フォグランプで武装し、ワイパーやドアノブも別部品で’70年頃のミニカーとしてはとっても凝った作りなのです。華奢な作りで、程度の良いのはなかなか出て来ないミニカーです。
fiat500 018.jpgfiat500 019.jpg

イタリアの街ではもう見られなくなってしまったチンクやサソリ達ですが、当時物ミニカーならいつでも当時の雰囲気を味わえるのが素晴らしい事なのです。

チンクに乾杯であります、Cin cin!!
posted by ワイルドマン at 10:00 | 神奈川 雨 | Comment(9) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月19日

地獄の収集は最終地点か?? Part.2

集め続けて30余年・・・・私にとっては音源よりも重要なKISSの
オモチャを中心とした物集めは、インターネットの出現とともに
さらなる暴走状態を生みだし、日本では絶対に手に入らなかった
ような物までが、気がつきゃ手のひらにのっているという状況
になってしまいました。

「きりがないからビンテージのみに絞って集めましょう」という路線
に切り替えて早10年、全部が欲しいわけでもないから、気になって
たやつは大体我が狭きコレクションルームに収まって来ました。

KISSの音楽性がどうこうじゃなく、ロゴマークを始めとしたKISSの
70年代的なデザインが好きなので、自分的にデザインが優れている
と認定した物だけを手元に置いておきたかったのです。
70年代当時は情報も少なく、アメリカでどんな物が出ているのか
さっぱり分かりませんでしたが、その後資料本が出たり、インターネット
の普及によりたくさんの知識が勝手に入って来ました。

90年代にはKISSみずから彼らの歴史をまとめた”KISSTORY”という
超豪華本が出版されましたが、調子に乗って続編としてKISSのグッズ
のみをまとめた”KISSTORY II”というこれまた超豪華本が出版されました。
KISSTORYは未公開の写真やそれまで知らなかった事実があきらかに
なったりとKISSの正統派ファンにはたまらない内容でしたが、IIの
方は商売人KISSが金のなる木として販売したオモチャやアパレル等
のグッズをまとめた内容の本でした。
この本が出た当時、日本のKISSファンのほとんどは「KISSTORY II
なんてくだらないオモチャの本はいらん、KISSTORYはIの方だけで
十分だ」という意見ばかりでしたが、私は「何言ってんだこのバカ、
KISSTORYはIIじゃなくっちゃ意味がないぜ!!」と一人興奮しており
ました・・・・

そんなこんなでKISSTORY IIに出ていた夢のようなデザインのグッズに
変態は夢を抱いてしまったのでした。
前回からいろいろと夢のグッズを紹介しておりますが、今回もしつこく
続けさせて頂きます。
KISS Collectible II 001.jpg
こちらは70年代グッズの定番品の一つ“KISS Radio”であります。
もちろん箱付きで1977年のクレジットが泣かせます。

KISS Collectible II 002.jpg
もう一つは何と腕時計型のラジオで、その名もRock’n Roll Wrist Radio”
になります。超レアなアイテムですがこれをはめてニッポン放送全開で
元町を歩いてみたいものです。

KISS Collectible II 003.jpg
そしてこれは”Makeup Kit”でKISSのメイクが出来るという素晴らしい
商品です。説明書通りに顔にぺたぺた塗って行けばあなたもジーン
シモンズになれるのです、使ったこと無いけど。

KISS-Collectible-II-004.jpg
今度はハロウィン用の”KISS Costume”です。ハロウィンで仮装に
つかうお面とビニール製コスチュームなのです。今年のハロウィン
でデビューしようかと考えております。ボックス・アートがたまりません!!

KISS-Collectible-II-005.jpg
このカップは70年代にアメリカ中西部地区のKISSコンサート会場で
売られていた”Pepsi Scream Machine“というプラ製のカップです。   
ペプシコーラを入れて売っていたのですが、飲み終わった後はカップの
底をパカッとはずしてメガフォンとして使うすぐれ物なのです。
これで横浜スタジアムにてベイスターズをやじってみたいのです。

KISS-Collectible-II-006.jpg
ゲテモノはさらに続き、これは”View Master”というオモチャでカート
リッジ式のフィルムみたいのを赤い機械に入れるとKISSのスライド
画像があっちこっちに映し出されるのです。うちの猫たちが喜びます。
KISS-Collectible-II-007.jpg
これは”View Master 3D”でやっぱり赤い機械に入れて中をのぞくと
今度は3DでKISSの画像が見れるという楽しいマシンなのです。

なんていろいろ紹介してもきりがありませんし、興味のない方には
ただのゴミとしか思えないのではないかと感じる今日この頃であります。

という事でですね不肖Wildman、ここまで続けて来たKISS Collection
を最終章にしたいと思っているのです。
バカが何言ってんだと思われるでしょうがあと1点入手出来たらもう
KISS物の収集はやめると断言致します、言うだけならタダですので・・・

どうしてもあと一点欲しい物があるのです。幻の”HONDA KISS Mobile”
(2007年6月22日ブログ参照)
KISS-Collectible-II-008.jpg
ホンダ・ホークは無理があるので
現実と非現実のギリギリの所にある物が欲しいのです。実はそれの一部
はすでに持っているのです、これです。
KISS Collectible II 009.jpg
これ何だかわかるでしょうか?そうです30年前、日本のボーリング場や
ゲームセンターにも設置されていたKISSピンボールマシーンなのです。
KISS-Collectible-011.jpg
これはそのバックパネル部のガラスのみになります。なんて素敵な
デザイン何でしょう!!!

1979年アメリカはBally社製のこのピンボールは強烈なデザインと名曲
ロックンロールオールナイトが流れるというKISS ARMYにはたまらない
マシーンで、個人で持つには最大級のコレクターズ・アイテムになります。
これが我が家にやってくればコレクションも完結し、自宅でゲームセンター
も開けるのです・・・・

もう地獄の収集の最終地点はそこまで来ているのです。どこかに
捨ててあるという情報をお持ちの方はぜひ変態までご一報を!!

そして明日20日(日)は本牧Area-1 Fairgroundにて12th Annual
Volkswagen Type II Partyが開催されます。Type II乗りの方、Type II
のミニカーだけが好きな方、ぜひ遊びに来て下さい!!

私はと言いますと、こういったType IIで遊んでおりますので、声を掛けて下さいませ。
KISS Collectible II 010.jpg























posted by ワイルドマン at 10:55 | 神奈川 霧 | Comment(5) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月12日

地獄の収集は最終地点か??Part.1

暑かった夏もAHOOWと共に終わり、季節はもう秋・・・・
ベイスターズは記録的な低勝率を誇って最下位を驀進中・・・・
そんな中、横浜スタジアムに通い詰める真のベイファンにはただ
ただ脱帽するばかりでございます。
いくら弱いチームが好きな私でも、ここまでひどい状況下でお金
を払って負け試合を見に行く気もせず、今年はこのまま一度も
プロ野球観戦はすることなく終わりそうですな。
だって今のベイスターズに貢ぐなんてお金も時間ももったいな
いんだもん・・・・・

貢ぐといえば私の30年以上における献身的なKISSへの
奉仕活動もそろそろ一段落せねばと思う今日この頃であります。
LPレコードの特典付録集めという可愛らしい物から始まって、
関連雑誌、パンフ、湯水のごとく出るオフィシャルグッズ・・・・
と何でもかんでも収集しながら収集がつかなくなり、買った物、
頂いた物、拾った物等々、もうどうにも止まらない状況がずっと
続いておりました。
その間にKISSはメイクを取ったり、メンバー・チェンジしたり、
超不人気バンドになったり、オリジナル・メンバーに戻って
のメイク版再結成となったり、またそれもやめて、メンバーが
変わったりと、あの方たちはあの方たちでとっても忙しい35年
を過ごしたようですね・・・・それもこれも私たちファンの献身的な
奉仕活動により成り立っているのですが。

1988年に10年ぶりの来日を果たし、少しさめてたKISS熱が
自分の中で盛り上がり始め、96年にメイク版KISSが再結成し、
世界的に記録的な興行となり、97年に来日した頃には、私の
KISS熱も再びピークに達し、片っぱしからKISSグッズの収集に
走っていました、息切れしそうでした。
しかし商売人KISSの出す商品を次から次へと買ってたら、ジーン
シモンズはビバリーヒルズに住み、私は破産するという事が判明し、
「これは駄目だ、バカらし過ぎる」と珍しく反省したのが世紀末の
1999年頃で、それ以降は細々と’70年代KISS全盛期に作られた
いわゆるビンテージ・グッズのみに絞って集めることにしたのです。
これならなかなか見つからないし、見つけた時はとっても嬉しいし、
どこかのお家でゴミとなって眠っているものをありがたく頂戴する
事も出来るし「こんないいコレクションはないぜ!」とKISSコレクション
の方向性をシフトしたのでした。
すると部屋の中は以前にも増してゴミだらけ?となり、カビ臭い’70年代
の物であふれ返り、これはこれで大変なんだなと思いました・・・・・
Kiss-Collectibles-001.jpg
これはクリーニングしたのでカビ臭くありませんが、Kustom界の
重鎮、Vannuysは時田様が’70年代よりお持ちだったKISS寝袋で
あります。
ビンテージとしては人気者ですが、これを日本のキャンプ場で平気で
使っていた神経がたまらなくKustomしています。
コールマンの新品と交換して頂きました。
Kiss-Collectibles-002.jpg
入手に一番苦労したのがこのラジコンのKISS Dodge Vanであります。
’78年頃の製品ですが、オモチャとして消費されてしまったため、この
ように箱付きで欠品無しの完品はまず出てきません。アメリカでも評価
が高く、KISSレアアイテムのベスト3に入ると勝手に自負しております。
Kiss-Collectibles-003.jpg
このウルトラ派手なジャケットはジーンのサイン入りで、素材が何と
紙のため、なかなか程度の良いのが残っていません。ライブに着て
行きたいのですが敗れると悲しいので家の中だけで着ています。
Kiss-Collectibles-004.jpg
そしてこれはToy Guitarでありまして何と未開封の超貴重品であり
ます。プラスチック製の子供用オモチャギターなのですが、ちょっぴっと
破けた袋の角から匂いをかぐとそれは'70年代の香りがするところが
変態冥利に尽きます。
Kiss-Collectibles-005.jpg
これはポータブルレコードプレーヤーでラジコンVan並みに貴重な
アイテムなのです。ドーナツ盤といっしょに持ち運べば、いつでもどこでも
Rock’n Roll All Nite and Party Everydayなのであります。

Kiss-Collectibles-006.jpg
そしてある意味オモチャより探しても出てこないのが、このお菓子
のパッケージなのです。ナビスコのコーンフレークの箱なのですが、
当時オマケにKISSステッカーが入ってた商品で、パッケージには
アルバム「仮面の正体」のジャケットイラストが描いてあって、どう見ても
コーンフレークには見えないところがいいのです。’80年頃のオースト
ラリア製になります。
Kiss-Collectibles-007.jpg
そしてお次は、絶対に日本では私しか持っていないと自負(想像)している
KISS Microphoneです。ラジオにつなげて使うオモチャのマイクなのですが
これは本当に販売されたのかどうかも分からないようなアイテムで、奇跡的
に入手出来ました。奇跡的に入手したのは良いのですが、私以外にこれを
欲しい人がいるのかどうかも分かりません・・・・・Pinstripe Collegeにて
使ってみましょうか??

何だかぜんぜん話が終わらなくなって来たので、本当に言いたい事は次回
に回しますね。

あ、それともうひとつ、明日13日(日)は本牧Area-1 Fairgroundにて
第4回El Camino Nationalsが開催されますよ!!
いろんなエルカミーノが集まりますのでぜひ遊びに来てくださいね。
私はと言うとこういったエルカミーノで遊んでいますから、一緒に遊びたい
方は声をかけて下さいませ。
Kiss-Collectibles-008.jpgKiss-Collectibles-009.jpg

posted by ワイルドマン at 10:00 | 神奈川 雨 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月29日

祝!!大洋ホエールズは60周年だぜ

たくさんの皆様に来て頂きました
Mooneyes Signs & Pinstriping Studio20周年記念イベント
”Ace High Only One Wildman”は8月23日をもちまして
37日間のロングラン開催に無事終止符を打ちました。
(なぜか昨日来られた方が2名おりましたが・・・・)

期間中はたくさんの方々と暑さを共にし、
ついこの前の昔話やブログ話、そして本題のPinstripeの話で
盛り上がり、終わってみればあっという間の37日間でありました。

限定商品も喜んで頂けたようで、売り切れ続出となり
本当にありがとうございました!!
次はですね来年21周年記念をやるか、はたまた2047年に
横浜ベイスターズ並に38年ぶりの優勝じゃなくってイベントを
やるか悩んでおります。
(生きているか知りませんが・・・)

その際はぜひ皆様お越し下さいませ。暑い夏を一緒に過ごしましょう!!

ということで我が横浜ベイスターズであります。昨日、おとといと2連勝
して週に一回しか勝てないはずのチームの猛烈な勢いを感じます。
だってベイスターズにとって2連勝というのは他のチームでは6連勝に
匹敵するくらいの快挙なのですから・・・・
それにしても推定15万8000人の来場者を集めたAHOOWに比べ
横浜スタジアムは閑散としていますね・・・・
8月28日現在ベイスターズの成績は41勝71敗というのはヤミ金でも
返済不可能だと思われる借金30という驚異的な数字で、もちろんブッチ
ぎり文句なしのダントツ最下位となっております!!
(ちなみに首位のジャイアンツは67勝37敗で貯金が驚異の30です)
こうなってくるとまったく他チームの動きなんてどうでもよくて、ベイスターズ戦
はセ・リーグの練習試合と化しているように感じてきますね・・・・

それにしても弱い、弱すぎます、もはや犯罪とも思える異常なまでのこの
弱さは大洋ホエールズ時代から考えてもあまり記憶にありませんね。
そんな中WBCメンバーだった昨年本塁打王の村田と首位打者の内川を
ケガで欠いてしまって、もう試合にならないと思っていた中での2連勝は
やっぱり10連勝に匹敵するような気が致します。

まあ弱いチームが大好きなので、しょっちゅう優勝しているチームのファンの
気がしれないというのが持論なのであまり気にしていませんが、今年は横浜
開港150年、そしてWildman20周年という記念すべき年なのにこのひどい
成績はいくら心の広いWildmanでも悲しくなってきます・・・・

そんな悲しい中、一冊の本が出版されました。やっぱり今年はメモリアルが
満載の年で、考えたら大洋ホエールズ時代から換算すると今年はベイスターズ
球団創設60周年にあたり、ベースボール・マガジン社から「ホエールズ&ベイ
スターズ60年の軌跡」という本が出たのです。
「未来への航海」というサブタイトルがついておりますが、私に言わせれば
「未来への沈没」と言いたくなってしまいます・・・・
0829_b.jpg
この本は懐かしいホエールズ時代の写真と60年の間でたった2回しかない
奇跡の優勝などについていろいろと書かれていて、これまでにこのチームに在籍
した名選手&迷選手全員の写真も出ていて、なかなか資料的な価値がありますね。

ついこの前の1949年に下関にて大洋漁業が「株式会社まるは球団」を設立し
セ・リーグに加盟し、その後「大洋ホエールズ」となり途中「松竹ロビンス」と
合併し一瞬「大洋松竹ロビンス」になりましたが、又単独経営の「大洋ホエールズ」
に戻って神奈川県は川崎市に本拠地を移し、その後1978年に我が横浜市に
移転して来て愛すべき「横浜大洋ホエールズ」が誕生しました。
そして1993年に「横浜ベイスターズ」に名称変更となり98年に38年ぶりの
優勝となった訳であります。
親会社も大洋漁業からTBSに代わってしまい60年の時代の移り変わりが感じ
られますね。ついこの前の事なのですが・・・

今回のこの本には懐かしい川崎時代のあの鮮烈なオレンジとグリーンの芸術的
なユニフォームの写真が多数掲載されていて、ついこの前の1975年の事を思い
出してしまいました。そうミニカーコレクションがスタートした1975年に小学5年生
の少年Wildmanは生まれて初めてプロ野球観戦に連れて行ってもらった
のです(大洋vs巨人2007年7月20日ブログ参照)
その時、思い出の川崎球場で親父に買ってもらったのが、この「1975年版
大洋ホエールズイヤーブック」なのであります。
0829_c.jpg
あれからずっと持ってます・・・
平光塁審の理不尽な巨人寄りの判定、投げつけられるビール瓶!!信じがたい
ヤジの応酬・・・昭和のプロ野球を楽しまさせて頂きました。

そしてイヤーブック書いてもらったサインの数々です。その後ベイスターズ監督
となるドラフト1位の慶応ボーイ山下大輔(なぜかかっぱえびせんのページ・・・)
0829_d.jpg
裏切り者の首位打者長崎慶一、
0829_f.jpg
円鏡こと盗塁王の中塚政幸、ちなみにこれは
中塚選手のバッティング・グローブですね、なぜか持ってます・・・
0829_e.jpg0829_a.jpg
全くついこの前の事なのですが、思い出いっぱいであります!!!

やっぱりベイスターズはですね親会社を大洋漁業に戻してですね、ホエールズ
という名にして、ユニフォームもオレンジにするべきですね。
それが最下位脱出への一番の近道だと思う今日この頃であります。




posted by ワイルドマン at 10:59 | 神奈川 雨 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月22日

ナイキはチャレンジャーだ、兄弟船で復刻だぜ!!

予定通り毎日、毎日雨ばかりのスタートとなったStudio20周年記念
イベント”Ace High Only One Wildman”も残すところ今日と明日の
2日間となりました(8月23日終了であります)
この1週間くらいは涼しい風も吹くようになったので「酸素が薄い!!」
「暑すぎる!!」と大変な評判だったGarage内もだいぶ過ごしやすくなって来ました。
20年ぶりくらいに会う人、しょっちゅう会う人、変態の同志、
いたって正常なPinstripeのお客様、同業のPinstriperサン等々、
たくさんの方々にご来訪頂き、嬉しい限りであります!!

イベント限定販売グッズも残りわずかとなりまして(すみませんポスターは売り切れました)アート・プレート(お皿)とビールやカルピスが美味しくなるグラスがちょろっとだけ残っております。

サイズによって在庫切れだったTシャツとポロシャツもこの週末に少量
入荷致しましたので、二度と販売される事のないこれらをぜひGetして
下さいませ。サインもお入れしますよ!!
22日と23日の最終日2日間はPinstripe Challengeも行いますので、
本牧までお越し下さい、お待ちしております!!!

ということでPinstripe Challengeといえばチャレンジャー。
前回のShige菅沼ブログで取り上げられてたのはNew Dodge Challengerでしたね。
まさに現代に蘇った実車の復刻版ですね(中身は全くの別物ですが)

そしてWildman的なChallengerといえばやっぱりNikeなのですな。
ここ数年、変態相手に展開してきたNikeのVintage Lineによる
復刻モデルシリーズですが、この夏またもや新たに復刻されました。
その名もNike Challenger(ナイキ・チャレンジャー)であります。
このシューズは2007年7月のブログで取り上げた「ああ、憧れのMade in USA 」シリーズで紹介した、Nike Bermuda(ナイキ・バミューダ)の兄弟モデルにあたります。

約30年経って兄弟仲良く復刻された訳でありますな、めでたし、めでたし・・・
おさらいの為にバミューダの画像も出しときますね。
Challenger 001.jpg
左が28年前に買ったオリジナルのアメリカ製で右が’07復刻版になります、やっぱりカッコいいな!!

そしてチャレンジャーであります。
Challenger 003.jpg
このシューズはバミューダと同じ1979年に発売されましたが、何とたったの1年で生産を終えてしまった超短命シューズなのであります。
バミューダはアメリカ製から始まって台湾生産分やマイナーチェンジを行ったりして’83年頃まで生産が続いてましたが、チャレンジャーは兄弟にもかかわらずあっさりとサヨウナラしてしまいました…
理由は知りません。
製造国はアメリカのみとなり「ああ、憧れのMade in USA」であります。

チャレンジャーはレース用の軽量シューズで、同じような形のトレーニング用シューズのバミューダに比べ軽く出来ています。
でもメッシュとナイロンの複合素材による作りや、甲の高さにより紐の締め方が調整できるヴァリアブルワイズシステム等、全体的なデザインは同じ流れになっています。

先端のメッシュ部分がバミューダはメッシュむき出しのままですがチャレンジャーはスウェードによる補強がぐるりと一周しているのが大きな違いなのでした。
あとはソールがバミューダはナイキとしては珍しい吸盤型のオクトパス・ソールを採用していますが、チャレンジャーはお得意のワッフル・ソールになります。
Challenger 009.jpgChallenger 010.jpg

バミューダをメンマ工場のバイトにより入手した高校生当時、チャレンジャーは見掛ける事もありませんでした。
バミューダ共々並行輸入品だったので、運が良くなければお店で出会うチャンスは少なかったのです。

当時大枚¥14,800をはたいたバミューダよりさらに¥1,000高いプライスで、カラーリングも鮮やかなブルーのバミューダに比べ地味なえび茶色?のチャレンジャーはいま一つ購買意欲がわかないモデルでした。
0822_a.jpg
そんなこんなで28年が過ぎたこの夏、何とも地味で不人気でレアで誰も欲しがらないようなチャレンジャーが突然復刻されたのです。
Challenger 005.jpg
Vintage Lineによる復刻なのでそれなりにきちんと考証して作られています。メッシュの質感の違いや、オリジナルは伊勢エビのような赤みがかった茶色でしたが、復刻版はもう少し色味が薄くザリガニのようなカラーになってます。

左がオリジナルで右が復刻版になります。
重さもほぼ同じ感じで、地味なチャレンジャーの雰囲気は十分に表現されていて、及第点が付けられる復刻だと思います。
いい感じですよ!!
Challenger 004.jpg
それにしてもバミューダといいチャレンジャーといい、王道を外したモデルの復刻に熱心なNikeはヤケクソになってるのかマニアの意見を取り入れてくれてるのかよくわからなくなって来ましたね。
企画の方自身がチャレンジャーなのでしょうか・・・・・・

最後におまけ画像を一つ。
これはナイキ・ファイナリストというモデルで’80年頃に日本企画で製造&販売された日本オンリーのモデルになります。
当時クラスメートのF君がこのファイナリストを買って履いてましたが、私と友人のT君は輸入品バミューダを履いてたのでいつもいばってました。
Challenger 008.jpg
価格も並行輸入品のバミューダに比べ¥5,000位安い¥9,000というプライスだったのでワンランク格下に見てました。
デザインはバミューダとチャレンジャーを足して2で割ったようなもので、まさに当時の日本車同様、世界のいいとこ取りという感じがしてました。
しかし30年後に見てみると作りはいいし、壊れてないし、それなりにカッコいいしまさに日本の技術力の高さが垣間見えるのです。

バミューダとチャレンジャーの兄弟船と腹違いの兄弟ファイナリストは30年後も私の手元(足元)にあるでしょう・・・・
Challenger 007.jpg























posted by ワイルドマン at 10:00 | 神奈川 曇り | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月15日

めぐり巡ってこんにちは、コレクションはタイムスリップだぜ!

やっと雨も落ち着き、夏らしくなってきたと思ったら静岡で地震が・・・

せっかくのお盆Week Special企画、高速道路¥1,000出血大サービス中なのに東名高速の復旧も遅れています。でも皆さんめげずに本牧はMooneyes Area-1まで遊びに来て下さいな。

暑い中Studio20周年記念イベント”Ace High Only One Wildman”はまだまだ続いております。限定グッズの数も少なくなって来ましたので
気合で来て下さい。又、今週末も”Pinstripe Challenge”を開催しておりますので、Pinstripeをやってみたい方、技術的な質問がある方はぜひお越し下さいませ。たくさんの無駄話を用意してお待ちしております!!

ということで暑い夏の夜長は我がミニカー・コレクションの不思議体験を語らさせて頂きます。

30年以上コレクションなんぞやっておりますといろんな巡り合わせがございまして、自分一人で感動している次第であります。この感動を皆さまにも伝えたいと思います。
0815_013.jpg
カーマニアだったスティーブ・マックイーンの愛車に「ジャガーXKSS」というのがあります。50年代にルマンを席巻したレーシングカー「ジャガーDタイプ」というのがありまして、売れ残ったDタイプに公道走行用の細かな保安部品を付け、ロードバージョンに仕立て上げたのがXKSSになります。まさに行動を走るレーシングカーといった感じでしたが、ジャガー社の工場火災によりパーツも治具も失われ、わずか16台が作られたのみの幻の名車でございます。

ミニカーで勉強すると、
0815-009.jpg
左がクレセント製Dタイプで、右がスポット・オン製のXKSSになります。2台とも英国製の当時物ミニカーで製造後約50年が経過しております。マックイーンのグリーンの個体は数年前LAにあるピーターセン・ミュージアムでじっくりと拝見した事がありますが、それより前の90年代後半に伝説のボンネビル・レーサー、フレッド・ラーセンがその功績をたたえられ表彰される式典がございまして、たまたまその時アメリカに行っていた不肖Wildmanもたまたまその式典に行かさせて頂きました。たまたまですが・・・

式典が一段落し、ちょっと会場の外に出てみたところ、駐車場の隅に低くうずくまったクルマが目につきました。遠くから見て「あれ何だろ、コブラのレプリカかな?」と思い近づいて見るとビックリ仰天、うおおおおおお〜と叫び声をあげる変態の目の前には何とXKSSが鎮座していたのでございます。
wildman-blog-0815-7.jpgwildman-blog-0815-6.jpg
「キャー、美しい、美しい、美しいぞ!!」と一人興奮しまくり、アメリカのどっかの街で完全にトリップ状態に陥っていたのです・・・

その場所にいたShige菅沼はじめMoonスタッフたちに「このクルマはかくかくしかじか〜」と説明してもだれも「ふーん」としか反応してくれませんでしたが・・・

実車のXKSSと遭遇したのはこの時が初めてでしたが、当時物ミニカーではスポット・オン製のに出会っていたので、どっちかっていうとそっちの方が興奮したのです。このミニカーは60年代当時は少数しか日本に輸入されず、かなりレアな存在だったのですが、私は幸運なことに伝説の千代田ママストアにてグリーン色の一台目を70年代にゲットしておりました。
0815_010.jpg
「ホビージャパン」という模型雑誌がありまして、60年代の創刊当時は現在のようにガンダムやキャラクター物の本ではなく、れっきとしたミニカーコレクションの本だったのです(私はガンダムなんぞは全く興味が御座いませんのでご心配なく。あれが始まった頃はすでに中学生で、その頃は昭和30年代の事を調べるのが変態の日課だったもので・・・)

ホビージャパンのバックナンバーを何冊か入手し、72年の4月号に昭和の大コレクターであるY氏の絶版ミニカーコレクションが紹介されてました。その中にスポット・オンのXKSSも出ていて「うーん、養殖に失敗した金魚みたいでカワイイよなこのミニカーは、デフォルメの極致だぜ」と一人納得していました。
wildman-blog-0815-5.jpg
そんなこんなで四半世紀が過ぎ、21世紀になって手元に3台目となるスポット・オンのXKSSがやって来ました。今度のは赤色で、この色が一番欲しかったカラーリングなのでした。コレクション・ケースに並べて一人ニヤニヤしてカルピス・ソーダを飲んでいると、ふと昔のホビー・ジャパンの記事を思い出しパラパラとページを開きY氏のコレクションのXKSSの写真を見てみました。

「ウン、ウンこれだよな、やっぱり金魚にしか見えないよこのミニカーは」と思いその写真と、自分のミニカーを交互に見ていた次の瞬間、ブワ〜っとカルピス・ソーダを噴き出してしまいました。「こ、こ、これは一体???」と驚く変態・・・・・だってさ、ホビージャパンに載ってる写真のY氏のXKSSフロントグリル内には他の部分の塗装が飛んでしまって出来たと思われる点々模様がふたつ・・・・・そして我がコレクションケースに収まるXKSSのフロントグリル内にも点々模様がふたつ・・・・一瞬頭の中が?????となりましたが、もう一度よく見てみるとホビージャパンの写真のモデルと私のモデルはどっからどう見ても同じ個体だったのです!!!
0815_-008.jpg
この写真を見てから四半世紀以上が過ぎ、たまたま手元に来たミニカーは、たまたま写真のミニカーそのものだったという世にも恐ろしい不思議な現象なのでした、あ〜ビックリした!!!だってY氏から直接譲ってもらったわけではなく、全く別のルートでたまたま手元に来ただけですから、全くの偶然なのでした。実車ならともかく旧いミニカーでこんな事が起こるとは思いませんでした。

そしてまだ話が止まりません。力道山先生の数々の名車遍歴の中に、名車中の名車「ジャガーXK120」があります。美しいボディとツインカムのXKエンジンは誰もが認める1950年代を代表するスポーツカーの一台であります。これは日本橋に昭和30年7月に完成した「日本プロレスリング・センター」(力道山道場ですな)の前に鎮座する先生のXK120でございます。
wildman-blog-0815-4.jpg
先生はこのクルマを愛せれ、「わたびき自動車」にてオールペンされた際は世界チャンピオンになった証としてドアーに王冠のモチーフを描かれたそうです。生まれていれば私が描きたかったのに・・・・・

そして話がまたもやおもちゃになるのですが、日本のミニカー・コレクション黎明期に御活躍された大コレクター、故内山吉春先生という偉大な先駆者がおられました。氏のコレクションは当時雑誌や新聞に紹介され、コレクターのパイオニアとして私のような弱小コレクターの憧れでありました。70年代のホビージャパン誌にも氏のコレクションが紹介され、その中で50年代英国製の”SMEC”というブランドによる精密模型のXK120が出ていました。
wildman-blog-0815-3.jpg
これがその時の写真になります(1971年9月号)
「なんて素晴らしいプロポーションなんだろう、力道山先生のクルマとうりふたつだぜ」とウットリ眺めておりました。こんなの絶対に手に入るわけないなと思っていても、絶対に手に入ると考え直すと向こうからやって来るものなのですな、これが・・・・・
0815_011.jpg0815_012.jpg
21世紀になって、私のミニカー・コレクションの師匠であるサンセットの宇野さんから「内山さんのジャガーが入ってくるけど、いるでしょ?」と信じがたい連絡が入りました。お店に行ってモデルを見てみるとあの本に出ていたその物なのでした!!!一緒に当時のインストラクションも付いてきて、内山先生が価格やスケールを記した直筆メモも見受けられます、感動です。(英国のAutocar誌1955年2月号で通販されたようです)
wildman-blog-0815-1.jpg
時を超えて我がコレクションに収まるおもちゃたち・・・タイムスリップはデロリアンが無くても出来るのです!!!!
wildman-blog-0815-2.jpg
この画像は 今から49年前の1960年2月号のモーターマガジン誌に内山先生のこれコレクション・ルームが紹介された時の物です。この辺にこのジャガーがいるのですな、興奮してきました。

ロマンチックなタイムスリップ、コレクションはこうやって受け継がれて行くわけですね。私のコレクションを受け継いでくれるのはどんな変態の方なのでしょうか・・・・・
posted by ワイルドマン at 10:00 | 神奈川 曇り | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月08日

未完成の芸術はランボルギーニ・ミウラだ!!

暑い毎日を暑いガレージ内で過ごす私・・・・・
熱いイベントAce-High Only One Wildmanはまだまだ続いておりますので、お盆WeekはぜひArea-1 Garageまでお越し下さいませ。大変暑い中、大変な変態とのひと時を過ごしましょう。限定ポスター以外にもTシャツなんかにサラっとサインもしていますので、汗かきの方はぜひ2枚Getして下さいませ。

又、イベント開催期間中の週末、土日はPinstripe Challengeを開催しております。Pinstripe初心者の方や技術的な質問等がある方はWildmanが無駄話と共に的確なアドバイスをいたしますので、ご興味のある方は遊びに来て下さいな。無駄話がメインとなってしまった方は諦めて下さい・・・・・・

そして暑いので、唐突にランボルギーニ・ミウラであります。自称スーパーカーマニアのWildmanが認める3大スーパーカーの内の一台なのです。

Miuras-001.jpg

三浦じゃなくってミウラというクルマの存在を知ったのはスーパーカーブームが起こる遥か前、ついこの前の昭和44年頃、マッチボックスのミニカーを手にした時でした。「なんてカッコイイクルマなんだろ、もっとカッコ良くしちゃえ!!!」と手持ちのデカールをベタベタと貼って仕上げたのがこの一台です。意味不明のロータスのデカールはともかく、何とビックリMoonのデカールが貼ってあるではありませんか。将来を案ずるワンオーナーのこの一台、40年前にタイムスリップ出来るのです・・・・・

それはともかくランボルギーニ・ミウラというのは時代の先端を行くメカニズムとカッコ優先で仕上げられた「偉大なる未完成車両」というのが現代のクールな目で見たミウラの実態なのです。まあ6〜70年代のスーパーカーなんてどれも似たり寄ったりですが、ミウラが凄かったのはあのカッコだけで、世界中のマニアやお金持ちを虜にしてしまった事ですね。

ファッションで作ったミッドシップはどうにも困った操縦性を生み出してしまい、世界中のミウラ・オーナーが怖い目にあったり、大事故を起こしてしまったりと、まさにあらゆる意味でミウラはスーパーな存在なのです。

Miuras-009.jpg

’66年にこのオレンジ色のプロトタイプが発表されミウラは大反響を呼び、オーダーが殺到してしまいました。まだプロトタイプがまともに走らないような状態のうちに「もういいや、コレ売っちゃえ」という社主の判断により、ミウラは未完成のテスト車量のような状態で次々とデリバリーされて行ったのでした、いい時代ですね・・・・

Miuras-003.jpgMiuras-002.jpg

ミウラの基本デザインは突然思いついたものではなく、開発者が「公道を走れるフォードGT40を作りたかった」というコンセプトによるもので「そういえばミウラはGT40にそっくりだな」というのは子供の頃からミニカーを見てずっと思ってました。本当にミニカーって勉強になりますよね。ガバっと開く前後カウルやミッドシップのレイアウトは60年代最先端のレーシングカーGT40そのものですが、ミウラはサーキットで走るのではなくお金持ちが平民に見せびらかすのを主な目的として?作られてしまったので、室内を広くするためにV12エンジンを横置きにしてしまったのが、縦置きミッドシップであるGT40との決定的な違いでした。GT40はレーシングカーなので居住性云々は二の次でしたが、ミウラは「室内が狭い車じゃセレブが嫌がって買ってくれないぞ」という決定的な理由により、いろんな問題をかかえつつも変態的な横置きレイアウトを選んだのでした。

これによりキャビンはとっても広くなり、デザインも優雅な物が出来ましたが、乗ってみると問題だらけのあらゆる意味でスーパーなクルマとなってしまいました。商売としては成功したミウラでしたが、開発者にとっては特に初期のモデルは未完成の物を売ってしまった感があり「プライドに傷がついてしまった」そうです。でもね、いいんですよカッコいいんだから、車はカッコです!!カッコが一番なのです。フジ・キャビンもニッケイ・タローもミウラもみんなカッコイイんだから!!!スタイル良ければ中身は二の次というのがWildman流の自動車論なのです。

ということで今回も1960年代に作られた当時物ミニカーにてお勉強です。ミウラは人気者だったのでミニカーでも各メーカーによりたくさん作られましたが、たくさんありすぎるので今回は絶版ミニカーとしては一番人気の2台をご紹介します。

Miuras-004.jpg

数年前ヤフオクで大ブームになってしまい、バカみたいな値段で取引されてたのがフランスはsolido社のミウラであります。(みんな、あんな値段付けるなよ、コレそれほど珍しいもんじゃないよ!)ごらんのように素晴らしいプロポーションで前後カウルとドアーが開き前輪がステアするアクションも持っています。カウルのエッジが効き過ぎてますが、それは芸術的なデフォルメなので最近作られたミウラのミニカーなんかとは格が違うのですな!!

Miuras-005.jpg

solidoのミウラで面白いのはパッケージが3種類あった事ですね。平べったくて「道路を走ってる風」のが人気で、普通の四角いのがアメリカ仕様パッケージ、最終型はウィンドウ・パッケージになっていて中身が見えるのです。これらを全部揃えるのも変態コレクションの楽しいところなのです。

Miuras-006.jpg

そして本国イタリア製のはPolitoys社のミウラです。60年代、後発メーカーだったPolitoysは、他のミニカーメーカーに追い付き追い越せといった感じで、次から次へと多数のアクションを持ったミニカーを開発してました。開くところは全部開け、シャシーにはドライブシャフトやデフまで付けちゃおう、という飛び道具満載のメーカーになってました。ミウラはその真骨頂のモデルで6アクションを備えるといった超過激モデルになってました。

Miuras-007.jpg

前後カウル、リアトランクフード、両ドアーの各パネル開閉はいいとしてボンネットのエアパネルを開くとそこには給油口がこんにちは!!という感じです・・・・サイドミラーやスペアタイヤ、エアクリーナー、ミウラ独特の丸い軽量穴を開けたフレームまで再現され「どうだ!!見たか!!ざまあみろ!!やるだけやったぞ」という製作者の声が聞こえて来そうなスーパーカー・ミウラにふさわしい傑作モデルなのです。

Miuras-008.jpg

ビンテージ・ミニカーは製作者の感性の違いが出て、本当に面白いですよね。何度も言いますがこれはアートなのです。

未完成スーパーカーの芸術、ランボルギーニ・ミウラはミニカーになってもやっぱり芸術なのでありました。
posted by ワイルドマン at 09:23 | 神奈川 曇り | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記