2008年08月30日

やっぱりイリアは美形だぜ!ジューシィ・フルーツよ永遠に

またもや訳のわからないタイトルで皆さまを困らせる当ブログでございますが今回は2年位前に感じる1980年にタイムスリップ致します。本当についこの前の事のようですね。

当時わがKISSはぜんぜん日本に来なくなりとってもつまらない日々を過ごしておりました。ジュリーがパラシュートを背負ってTOKIOに飛来したのもこの頃でして、世はテクノポップなる不思議なジャンルの音楽が発生しつつあり、この後YMOが世界的にブレイクいたしました。

そしてたのきんトリオもブレイクしてトシちゃんは赤いナイキ・ナイロンコルテッツを履きマッチは黒のナイキ・マッハランナーを履いておりました。松田聖子も「青い珊瑚礁」が大ヒットして世の中はアイドルブームとなり・・・・そんな事はどうでもいいのです!また勝手に暴走しそうだ、危ない危ない・・・・・・・

1980年のある日、TVを見ておりますとなにやらギターを抱えた女性が男3人を従えセンターに立っているバンドが現れました。「何だコリャ、ランナウェイズじゃあるまいし一体なにやんの?」と思っていると突然演奏が始まりました。するとその女性ボーカリストは裏声で歌を歌い始めました、しかもサイドギターを弾いてるんじゃなくてギュイーンとリードギターじゃありませんか!!!「何だ、なんだこんなの初めて!!!カッコいいぞ、このお姉さん一体だれ??」というのがこのバンドとの出会いでございました。

この時の演奏曲はデビュー曲の「ジェニーはご機嫌ななめ」という曲でなんと36万枚を売り上げてしまいこれはテクノポップとしてはかなりの物で、このバンドはしょっちゅうTVに露出するようになりました、ついこの前のモスクワオリンピックの頃ですね。

ここまでお話すれば当ブログを訪れる変態の皆さまにはお分かりですよね。

そうですWildmanが大ファンになってしまった80年代伝説の?変態バンドの名前は「ジューシィ・フルーツ」でございます。この頃女性がメインボーカル&リードギタなんてバンドはまずありませんでしたからそれだけで偉かったのです、ハイ。しかもですよ、そのボーカルのイリアときたらとっても美形だったのです。ほんとだってば!それは最高のデザインだったんですよ。16歳のWildmanは将来絶対に結婚しようと思っていました。イリアは7歳も年上でしたが・・・
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そのうち画像のファーストアルバム"Drink!"が発売され、ジューシィ・フルーツは続けてヒットを飛ばして人気者となりTVCMなんかにも起用され、なつかしのTV番組「ザ・ベストテン」の常連となりました。ジューシィ・フルーツは奇才、近田春夫氏のプロデュースによるものでしたが、近田氏にはついこの前の1993年にマイカル本牧のエレベーターで遭遇しました。ただのヒッピーにしか見えませんでした・・・
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もともとイリアは70年代にガールズという女の子だけのバンドでレコードデビューしておりました。伝説の下着バンド「ランナウェイズ」のコピーみたいですが、なんとKISSの"Hard Luck Woman"をカバーしているのです。画像がガールズのLPレコードになります、変態はちゃんと持っております。

ガールズ解散後イリアは近田氏のBEEFというバンドに参加し、その流れでジューシィが結成されました。曲が売れても当の本人たちはテクノポップや、ロックや歌謡曲風、はたまたグループサウンズ風の勝手な音楽をシャレで?やっているのに何で売れてんだろと思っていた感がありますね。そういうスタンスがジューシィの魅力でもありました。

数枚のアルバムを出した後、ついこの前の1985年にあっさりと解散してしまったのもジューシィらしかったです。しかも最後の最後は何と「オレたちひょうきん族」に出演し「ひょうきんピヨコ隊」として演奏し、それで解散という無茶苦茶なものでございました。
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こちらはジューシィの直筆サインとツアーパンフレットになりますがいつか再結成を夢見てずっと手元に置いてありました。解散後メンバーの方々はそれぞれソロ活動やスタジオミュージシャンとして活躍されていましたが、ギターの柴矢氏は作曲家として「おさかな天国」のヒットを飛ばしております。さすがだぜジューシィ・・・・・

そして21世紀になり久々メンバーに4人が集まってニューアレンジによる「ジェニーはご機嫌ななめ」を含むマキシ・シングルを発表して、当時のアルバムも何点かCD化されてとっても数少ない変態的な永遠のジューシィファンを喜ばせてくれました、感謝。さらにライブDVDまで発売されて変態たちを狂喜させたのです。

80年代にTV神奈川でやっていた宇崎竜童氏が司会の「ファイティング80’s」出演時の物で当時録画していましたがとっくにテープは紛失してしまったので奇跡のDVDとなりました。皆さまもぜひ御覧になってイリアのギターと美形を堪能して下さい。

もはや絶対に再結成のライブなんて考えられないジューシィ・フルーツですが、やっぱりもう一度レスポールやストラトキャスターを弾き捲くるイリアの雄姿(美形)を見てみたいものです。恋はベンチシートだぜ!!
posted by ワイルドマン at 10:19 | ☔ | Comment(13) | TrackBack(0) | 日記

2008年08月23日

思い出の長尺車はハイラックス・デューリー

ついこの前の1989年の8月よりスタートしたMooneyes Signs & Pinstriping Studioですが、ついこの前のはずが気がつけばこの8月で丸19年となり、いよいよ20年目に突入となりました。これもブログを支持していただいている皆様のおかげでございます。暑い中、厚い御礼申し上げます。といっても20年なんて私の時流の感覚では2年くらい前のような感じなのでやっぱりどう考えても89年なんてついこの前の事なのです。

という事でついこの前の89年のお話を一つ・・・・・S&P Studioがスタートして2ヶ月くらいたった秋のある日、保土ヶ谷の山頂にあるPublic Spiritsの笠井サンから突然電話が掛って来ました。現在は当時サブネームだった?“Deuce Factory”というかっこ良過ぎるネームが屋号になってしまった同店ですが、やっぱり変態的には当時のPublic Spiritsのほうが変態の集まるお店っぽくていいなと感じる今日この頃でございます(笠井サンすみません・・・)

その時、今も変わらぬあの口調で「明日デューリーを持って行くからPinstripeを3日で仕上げて」とお願いされました。「急な話だけどまあいいや、ところでデューリーって何???」と一人御所山8で悩んでおりました。

次の日、御所山8で待ち構える変態の前に、物凄く変態的なクルマが持ち込まれひっくり返りそうになりました。「どうも、どうも」とやっぱり今と変わらぬ口調で笠井サンがクルマから降りてきました。「デ、デューリーってこのクルマの事なのね!!!これ本当に日本で作っちゃったの!!」と驚く変態の前で、涼しげな顔で「ここをこうやってああして作った」とやっぱり今と変わらない口調でブツブツと説明してくれました。

まだステップサイドの720あたりが「ファイヤーパターン」も誇らしげに走り回っていた80年代後半に、一般人には理解不能とも思えるこのような長尺ハイラックスを作ってしまった笠井さんには脱帽でした。アメリカからChevroletのデューリーでも買ってきてしまえば簡単なところを、あえてハイラックスで作ってしまった事実に驚くばかりでございました。「やっぱり変態だ・・・・」と思いました(褒め言葉です)

そして「雑誌の取材があるから何としても3日で仕上げて欲しい、ここをこうやってああしてこんな色で・・・・」とブツブツ説明してあっさりと保土ヶ谷の山頂に帰って行かれました。

さてこんな長〜いボディーのクルマに長〜いStripeを3日間で描かなければなりません。さすがにStudioをスタートして3ヶ月くらいの身では2008年現在と同じようなスピードで描けるはずもなく、3日間で仕上げるというのは罰ゲームに近いものがありました。しかしやらないわけには行かないので、3日間もくもくと御所山8で作業し、最後の日は徹夜をもって作業終了となり、ヒンヤリとした朝を迎えたことを覚えております。ついこの前のことですが・・・・そして約束の9amには笠井さんがクルマを引き取られにこられ「よく3日で出来たね」とボソッと言われました。えらい世界に入ってしまったと思いました・・・・・

その後なぜかMooneyes 元町店を経由し、撮影場所の本牧シンボルタワーに同行したのです。この画像は懐かしのMooneyes元町店前でございます。
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(アロハシャツの人はもしや???後ろのクルマは高速有鉛用画像です)「車の取材撮影なんて初めてだ、興奮してきたぞ」と変態は面白がって見ていました。「へー、あーやって撮るんだ、それにしてもモデルさんは寒そうだな、きっと明日具合が悪くなるぞ、可哀そうに」といらぬ心配をしておりました。
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そして取材終了後は、撮影スタッフさんやモデルさんになぜか変態もまじり、いっしょに本牧のDenny’sに行きジャンバラヤを食したした事も覚えております。

このときのモデルさんは「日本旅行キャンペーンガール」の羽田美智子さんでございましたが、この後数年のうちに女優さんになられてTVでよくお見受けしました。もちろんこの日の変態との長尺トラックの撮影なんて覚えていないでしょうが・・・・

そして11月になって発売されたのがまあ懐かしいこの雑誌でVanning & Truckin’の1989年12月号No,16 \500でございます。
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表紙は長尺トラック(ハイラックス・デューリー)と美智子嬢の組み合わせ、そしてページをめくるとすぐにデューリーが現れ、「デューリー。情報に早い人ならもうその正体を知っていることだろう。」というキャプションにしびれてしまい、さらに今となっては懐かしくもあり恥ずかしくもあるスプラッシュペイントのストライプがドーンと現れます。ついこの前のデザインですが・・・・
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そしてこのバニトラ誌をめくるとダンプベッドのハイラックスオーナーが紹介されているのですが四半世紀前に中型自動二輪の免許を取得した際、通っていた教習所で一緒だったI君だったのには当時驚いてしまいました。どうでもいいことですけど・・・・・

こんな感じで初めての変態による取材撮影同行は無事終了しました。19年前なので最近の話でしたがたまには頑張ってPinstripeの話もしますのでよろしくお願いします。

それにしてもこのハイラックス・デューリーは強烈なクルマでしたね。
posted by ワイルドマン at 09:00 | ☁ | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2008年08月16日

自然爆発するコレクションの恐怖と快感

皆様お久し振りでございます。先週は今年のお盆WeekにBonnevilleを疾走する予定のModified RoadsterのLettering作業を行う為、Mooneyes USAに3泊5日というとっても瞬間移動な出張があった為、ブログをお休みさせて頂きまして申し訳ありませんでした。

決してブログを書くのが嫌になったとかめんどくさくなったという事ではございません。書かないと体調が悪くなるのは目に見えておりますので、本当に自分でもつらいのです・・・・

おかげさまで今回の出張でModified RoadsterのLetteringは完成し、あとはChicoがBonnevilleで200マイルを達成するのを待つのみです。それにしてもこの期に及んでRoadsterを運ぶトレーラーを鉄骨からトンテンカンと作っているMooneyes USAのStaffの時間の感覚には脱帽致します。クルマを運ぶクルマが出来ていないって・・・・・・本当に間に合うのでしょうか・・・・・

そして今回の出張もドラマチックでありました。いつもいろんな事が起こりますが、今回はスタートから何やらタイミングがおかしかったのです。まず横浜からリムジンバスに乗り成田空港に向かったのですが、事故渋滞により急遽ルート変更となりまして、バスは首都高をそれてアクアラインを通過しいつもより30分くらい遅れて空港に到着したのです。わが愛機、大韓航空のカウンターにチェックインしに行きましたが、ここも人で大渋滞・・・「すみません通路側の席でお願いします」と希望を伝えると「本日エコノミークラスは満席で通路側も窓側の席も用意出来ません、5人掛けの真ん中の席になります」と罰ゲームのような仕打ちを受ける事となったのです。「ケッ、なんてことだ、9時間以上も見知らぬ誰かに挟まれてしまうのか!!!!隣もミニカー好きの変態だったらいいけど・・・・」という最悪の展開になってしまい、ふてくされたWildmanは食事をとったり本屋で立ち読みしたりしてフライト時間ギリギリまであっちこっちでふてくされておりました。

そうこうしていると何やら放送が聞こえてきます。「大韓航空001便でロスアンジェルスにご出発のイシイタカヒロ様、至急搭乗口カウンターまでお越し下さい」と小心者を焦らせる声が聞こえてきます。「ゲッ、ふてくされ過ぎて搭乗時間を間違えたか??こりゃ恥ずかしいぞ!!」無駄にふてくされていた事を反省しつつダッシュで搭乗口に向かいました。

しかしそこに着いてみるとまだ誰も飛行機に乗っていないではありませんか。「ありゃ、どーいうこと??」と思いカウンターに行って変態がただいま到着した事を告げるとおねーさんが「大変申し訳ございませんが御予約されたエコノミークラスの席が用意出来ませんでした。つきましてはビジネスクラスの席を用意致しましたのでそちらへの変更でお願いします」と神の声が聞こえたのです。

「イエイエ申し訳ないのはこちらの方でございます、有り難くビジネスクラスの席を頂戴致します、かたじけない」と御礼を言い、変態は颯爽とエコノミーのチケットでビジネスクラスに飛び乗ったのでありました。オーバーブッキングによるシート変更で変態は快適な空の旅を楽しめたのでした。ウナギのかば焼きも食べられたし、デザートもいっぱい食べて、広いシートがもったいないので寝るのをやめてずっと起きてて「うーむ、余は苦しゅうない」と快適なフライトを楽しんだのです。まさに地獄から天国への脱出でございました。

という訳ですみませんがやっと本題に入ります。

長年コレクションをしておりますと色々と悩みもあるのです(勝手に悩んでろって)私の好きな物は経年変化に非常に弱いのです。そりゃオモチャとスニーカーなんて普通使い捨てですからね・・・・・メーカーだって何十年の耐久性なんて考えて作ってないですから。50年前のミニカーを眺めて喜んだり、四半世紀以上前のスニーカーを恍惚状態で履いている方がおかしいのですから・・・・・

コレクションを保存するに当たって色々工夫はしているのですが、目が行き届かなかったり、同年代に作られた物でも丈夫なやつもあれば、すぐにヘロヘロになってしまう物もあります。
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まずミニカーなのですが1枚目の画像は日本のダイヤペットというブランドが60年代に作ったメルセデス・ベンツ300SLでございます。ガルウィングではなくロードスター のモデル化ですが、実は力道山先生はガルウィングの後、ロードスターも所有されていたようです。やっぱり先生は凄いです・・・・・・

このミニカーも凄くて強烈な経年変化が待ち受けています。製造時期により素材の質が悪かったようで左のヤツは勝手にボンネットがひび割れてきて最後は破裂?致しました。右のヤツはぜんぜん平気でして40年立った現在も新品のような輝きを保っていて、永遠にひび割れなんて起こりそうもありません。
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そして皆が大好きなハコスカ2000GT-Rのミニカーはやっぱりダイヤペット製なのですが、これもダイキャストの材質に問題があって、やる気のあるヤツと無いヤツの差が激しいのです。製造後38年くらい経過していますがやる気の無いヤツが左のイエローで、やる気がある方は右のシルバーになります。画像をよく見て頂ければ分かりますがイエローはボディー全体がグンニャリと歪み、ドアーは取れそうになっています。塗装もブツブツと浮き始めていて爆発してバラバラになるは時間の問題でしょう。それに対してシルバーは美しいままなのです。こうなったら経年変化を楽しむしかなく、時限爆弾を抱えているようなもので、いつ爆発するのか毎日家に帰ってから状態をチェックする事が日課になっております。ああ楽しい・・・・
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そして重厚な濃紺のカラーが素敵なビンテージの雰囲気バツグンのキャデラックはフランスで作られたsolidoというブランドのミニカーですでに製造後50年以上が経過しているのですがボディーは素晴らしい状態にあります。しっかしこのブランドの当時のホワイトタイヤはとってもデリケートでして、御覧の通り勝手にバーストしてしまうのです。これも防ぐのは困難なので、現在このシリーズのミニカーはジャッキアップして保存しております。ああ楽しい・・・・

そして最後はスニーカーになりますが、コイツはアディダスの「フォレスト・ヒルズ」というモデルで70年代後半に登場したハイエンドモデルのテニスシューズなのです。なんたって30年近く前に脅威の¥22,000という詐欺まがいのプライスタグを引っさげて登場したコイツは当時のミーハーテニスプレーヤー憧れのシューズで、カンガルーレザーを使用し、アウトソールはポリウレタン、インナーソールはなんとNASAが開発した素材を使った贅沢三昧のハイテク変態スニーカーだったのです。黄色のソールにゴールドの3本ストライプなんて変態丸出しのデザインですね・・・・

もちろん当時から変態を自負していたWildmanはハム工場のアルバイトによる軍資金により、ついこの前の81年1月頃、16才と6ヶ月という分際でコイツを手に入れたのでした。昨日の事のようですが本当にバカですね・・・

数年間大事に履いて、ついこの前の80年代後半にWildman殿堂入りとなり永久保存を決めてオリジナルボックスに入れて保管していたのですが、数年後箱を開けてビックリ!御覧の通りバランバランになっておりました。当時のアディダス製高級テニスシューズは全てポリウレタンを使用していたので、経年変化により絶対にこのように爆発する仕組みになっています。やっぱり詐欺ですね・・・
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右に並ぶのは21世紀になって復刻されたフォレスト・ヒルズでオリジナルに忠実な素晴らしい出来となっていました。完璧に再現してくれましたが、これも完璧に数年後爆発するのは間違いなさそうですね。ああ今から楽しみです・・・・・

という事でコレクションなんてのは完璧な保存を心掛けるだけではなく、爆発を伴う経年変化を楽しむようにならなければ一流の変態とは言えないのでしょうね、ああ楽しい!!
posted by ワイルドマン at 09:46 | ☁ | Comment(7) | TrackBack(0) | 日記

2008年08月02日

ダース・ベイダーになりたい!シンプソンM30アルバイト編

まるで先週のように感じてしまう、ついこの前の1979年のF-1シーンにとっても衝撃的なヘルメットが登場しました。前年の1978年はグランドエフェクトカーのロータス79がシリーズを席巻し、見事マリオ・アンドレッティがチャンピオンになり、ドライバーズ・ポイントでは2位にもロータスのロニー・ピーターソンが入りロータスにとっては完全勝利のようなシーズンとなりました。

ブラックにゴールドピンストライプのJPSカラーのロータス79は70年代F-1マシンの完成形となりましたが、残念ながらイタリアGPにてロニー・ピーターソンが事故死してしまい、ロータスにとっては幸福と不幸がいっぺんにやってきたようなシーズンになってしまったのです。

そして79年になるとロータスは究極のグランドエフェクトカーと思われたロータス80を発表し、その衝撃的なデザインには皆度肝を抜かれました。「思われた」というのは実際にシーズンに入ってデビューするとコイツはちっとも走らないのです。まったくもって失敗作となってしまったロータス80にはマリオ・アンドレッティも手をやいていましたが、そんなマリオがクルマ以上に衝撃的なヘルメットを被っていたのです。「なんぢゃ、こりゃ!こんなヘルメット見たことない!!!」と中学生の少年Wildmanはクルマよりもヘルメットに興奮してしまったのです。
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この頃はF-1映画「ポール・ポジション」なんかも公開され、日本でも2回ほど富士にてF-1レースが開催されたので、少年WildmanもF-1にドップリつかっておりましたが、このヘルメットのデザインには本当に驚いてしまいました。「ロータスなんか遅いからもうどうでもいいけど、このヘルメットはカッコ良過ぎるぜ!」と、思い込みの激しい変態少年はヘルメット・フェチと化したのです。

そいつの名前は”SIMPSON”といいました。そうです現在でも人気のあのシンプソンです。

それまでカッコイイと思っていた舶来品のBELL、AGV、GPA等がみ〜んな古臭く見えてしまったのです、それはSFを感じさせる未来からやって来たヘルメットに見えました。だってさ当時公開され世界的ブームとなった映画STAR WARSに出て来るダース・ベイダーにそっくりなんですもん、カッコイイったらありゃしない!!

そして時はちょっとだけ流れて80年代となり、バイクを運転するようになっていましたが、このころ原チャリはノーヘルOK時代でしたので、ボルグ様の初代リード号はノーヘルで颯爽と風を切って走って走っていました。そして中免を取ってからはAGVなんかを被っておりましたが、やっぱりシンプソンが欲しい、どーしても欲しい!あれじゃなきゃダメだ、絶対にダメだ!!といつもながらの激しい思い込みが始まったのです。

この頃シンプソンはあまり流通してなく、なんてったってとっても偉い”Made in USA”だったので80年代前半の為替レートではとんでもないプライスが掲げられ、当時のライダー達の憧れの超高級品だったのです。まだダース・ベイダー型を模したニセモノシンプソンなんて無い時代でした。

とんでもないプライスの高級ヘルメットをとんでもない学生が購入する為にはやっぱりアルバイトしかありません。久々のアルバイト話は「Wildmanガソリンスタンド編」となります。ついこの前の83年頃ですがシンプソン欲しさに、より時給の高いアルバイトを探していた青年Wildmanはガソリンスタンドの求人を発見しました。まだ普通免許を持っていませんでしたが、それどもOKということなので晴れて時給¥650の日石スタンドのバイト君となりました(まだENEOSではありませんでした)とっても小さなスタンドでしたが、所長はとっても優しくて失敗しても全然怒らないので失敗ばかりしていました。

「釣銭の両替に行って来てくれ」と言われ「ハーイ、全速力で行ってまいります」と社用車のホンダロード・パルにまたがり銀行に行った帰り道、横々道路高架下右コーナーにてハングオンを試みたところ、パルのカゴに積んであった釣銭袋をぶちまけてしまい、道路に10円玉が散乱しました。「ギャー、どうしよう」と慌てふためいていると、タクシーの運転手さんがあまりにもあわれな変態をみて、クルマをとめて10円玉を拾うのを手伝ってくれました。ありがとう運転手さん、ついこの前のあの日はお世話になりました。

ある時はスズキGT125なんて当時でもレアなバイクで灯油を買いにきたオッちゃんがいました。オッちゃんはGTのシートだったか荷台?あたりに18リットルのポリタンをくくりつけて来て、センタースタンドを立て、そのままの状態で給油を試みました。

オッちゃんと世間話をしながらドクドクとポリタンに給油していると、半分くらい入ったところでポリタンの重みで突然GTの後輪がガクンと下がりました。慌てたWildmanは思わず給油ノズルをポリタンから引き出したのですが、焦っていたのでノズルのレバーを引いたまま オッちゃんに向かって灯油を発射してしまったのです・・・・ずぶ濡れになるオッちゃん・・・・ゴメンナサイ、オッちゃん!本当に申し訳ありませんでした、ついこの前のあの日の事はいまだに深く反省しております。

さらにこれは一緒にスタンドで働いていた友人のH君のお話なのですが、ある日デビューしたてのマイナーチェンジ後、1G-GEU搭載のセリカXX新車に乗ってきたとっても美人のお姉さんがいました。「ガソリン満タンお願い」と言われましたが、H君は素敵なお姉さんに見とれてしまい、「ガソリン満タン」ではなく「軽油満タン」にしてしまったのです。セリカXXになみなみと注がれる軽油・・・・それはまさに狂気の世界でありました。

この惨状に慌てまくった所長は緊急態勢で見た事もない素早い動きをしXXをリフトアップして一生懸命軽油を抜いておりました。ゴメンナサイ所長、あの時はさすがに怒っていましたね。ついこの前の事のようですがあの事件は一生忘れません、XXのお姉さんの事も忘れません。

そんなこんなでやっとの事で大枚を手にした青年Wildmanは、憧れのシンプソンM30を求めて京浜東北線に乗り上野バイク街に出撃しました。いまや伝説となってしまった悪名高きコー○ンモータースに出向いてついに憧れのシンプソンを手にしたのです。
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色はアンドレッティと同じシルバーに決めていました。

しかしですねシンプソンときたら83年当時で6万ですよ6万!!!!!たかがヘルメットが・・・・相変わらず自分の無謀な行動が信じられませんでした。「でも欲しかったんだもん、これでオレもF-1ドライバーだぜ、今日からアンドレッティと呼ぶように!」と激しい思い込みがありましたが、買った後激しい空腹に襲われたので帰り道で上野の中華料理屋に入り昼定食を食べたところ財布の中には¥700円しか残っていませんでした・・・・帰りはバス代が無くなったので京急上大岡駅からシンプソンM30を抱えてトボトボと歩いて帰りました。いくら嬉しくてもさすがに歩きながら被りはしませんでしたが・・・・

そして四半世紀が過ぎましたが、まだ持ってますシンプソンM30・・・・カエル君やマッハ号と走りまくりましたが、もうとっくに対応年数は過ぎ、中身もグサグサで被ることは出来ません。

その御老体は変態部屋の中でひっそりと余生を過ごしております。

後にも先にもヘルメットを買ってあんなに嬉しかった事はないので、ぶちまけた釣銭と灯油の思い出と一緒にこのシンプソンはずっと手元にあることでしょう。

10数年前、優しかった所長の元を訪れようと、思い出の日石ガソリンスタンドに出向きましたが、もうそこにはスタンドはなくビルが建っておりました。せっかくセリカXX軽油の件でもう一度謝ろうと思っていたのに・・・・・

エッ、今は何を被っているかって??
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それはこれですよ、ついこの前の80年代のモデル、イタリアはJEB'Sの“クレイ・レガツォーニ”ですよ。エッ、知らない、レガツォーニなんて・・・・失礼な!

ちょっと前のホンダのTVCMに出ていたでしょうが、知らない人はちゃんと調べてレポート提出して下さい。
posted by ワイルドマン at 08:53 | 🌁 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

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