2009年08月29日

祝!!大洋ホエールズは60周年だぜ

たくさんの皆様に来て頂きました
Mooneyes Signs & Pinstriping Studio20周年記念イベント
”Ace High Only One Wildman”は8月23日をもちまして
37日間のロングラン開催に無事終止符を打ちました。
(なぜか昨日来られた方が2名おりましたが・・・・)

期間中はたくさんの方々と暑さを共にし、
ついこの前の昔話やブログ話、そして本題のPinstripeの話で
盛り上がり、終わってみればあっという間の37日間でありました。

限定商品も喜んで頂けたようで、売り切れ続出となり
本当にありがとうございました!!
次はですね来年21周年記念をやるか、はたまた2047年に
横浜ベイスターズ並に38年ぶりの優勝じゃなくってイベントを
やるか悩んでおります。
(生きているか知りませんが・・・)

その際はぜひ皆様お越し下さいませ。暑い夏を一緒に過ごしましょう!!

ということで我が横浜ベイスターズであります。昨日、おとといと2連勝
して週に一回しか勝てないはずのチームの猛烈な勢いを感じます。
だってベイスターズにとって2連勝というのは他のチームでは6連勝に
匹敵するくらいの快挙なのですから・・・・
それにしても推定15万8000人の来場者を集めたAHOOWに比べ
横浜スタジアムは閑散としていますね・・・・
8月28日現在ベイスターズの成績は41勝71敗というのはヤミ金でも
返済不可能だと思われる借金30という驚異的な数字で、もちろんブッチ
ぎり文句なしのダントツ最下位となっております!!
(ちなみに首位のジャイアンツは67勝37敗で貯金が驚異の30です)
こうなってくるとまったく他チームの動きなんてどうでもよくて、ベイスターズ戦
はセ・リーグの練習試合と化しているように感じてきますね・・・・

それにしても弱い、弱すぎます、もはや犯罪とも思える異常なまでのこの
弱さは大洋ホエールズ時代から考えてもあまり記憶にありませんね。
そんな中WBCメンバーだった昨年本塁打王の村田と首位打者の内川を
ケガで欠いてしまって、もう試合にならないと思っていた中での2連勝は
やっぱり10連勝に匹敵するような気が致します。

まあ弱いチームが大好きなので、しょっちゅう優勝しているチームのファンの
気がしれないというのが持論なのであまり気にしていませんが、今年は横浜
開港150年、そしてWildman20周年という記念すべき年なのにこのひどい
成績はいくら心の広いWildmanでも悲しくなってきます・・・・

そんな悲しい中、一冊の本が出版されました。やっぱり今年はメモリアルが
満載の年で、考えたら大洋ホエールズ時代から換算すると今年はベイスターズ
球団創設60周年にあたり、ベースボール・マガジン社から「ホエールズ&ベイ
スターズ60年の軌跡」という本が出たのです。
「未来への航海」というサブタイトルがついておりますが、私に言わせれば
「未来への沈没」と言いたくなってしまいます・・・・
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この本は懐かしいホエールズ時代の写真と60年の間でたった2回しかない
奇跡の優勝などについていろいろと書かれていて、これまでにこのチームに在籍
した名選手&迷選手全員の写真も出ていて、なかなか資料的な価値がありますね。

ついこの前の1949年に下関にて大洋漁業が「株式会社まるは球団」を設立し
セ・リーグに加盟し、その後「大洋ホエールズ」となり途中「松竹ロビンス」と
合併し一瞬「大洋松竹ロビンス」になりましたが、又単独経営の「大洋ホエールズ」
に戻って神奈川県は川崎市に本拠地を移し、その後1978年に我が横浜市に
移転して来て愛すべき「横浜大洋ホエールズ」が誕生しました。
そして1993年に「横浜ベイスターズ」に名称変更となり98年に38年ぶりの
優勝となった訳であります。
親会社も大洋漁業からTBSに代わってしまい60年の時代の移り変わりが感じ
られますね。ついこの前の事なのですが・・・

今回のこの本には懐かしい川崎時代のあの鮮烈なオレンジとグリーンの芸術的
なユニフォームの写真が多数掲載されていて、ついこの前の1975年の事を思い
出してしまいました。そうミニカーコレクションがスタートした1975年に小学5年生
の少年Wildmanは生まれて初めてプロ野球観戦に連れて行ってもらった
のです(大洋vs巨人2007年7月20日ブログ参照)
その時、思い出の川崎球場で親父に買ってもらったのが、この「1975年版
大洋ホエールズイヤーブック」なのであります。
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あれからずっと持ってます・・・
平光塁審の理不尽な巨人寄りの判定、投げつけられるビール瓶!!信じがたい
ヤジの応酬・・・昭和のプロ野球を楽しまさせて頂きました。

そしてイヤーブック書いてもらったサインの数々です。その後ベイスターズ監督
となるドラフト1位の慶応ボーイ山下大輔(なぜかかっぱえびせんのページ・・・)
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裏切り者の首位打者長崎慶一、
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円鏡こと盗塁王の中塚政幸、ちなみにこれは
中塚選手のバッティング・グローブですね、なぜか持ってます・・・
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全くついこの前の事なのですが、思い出いっぱいであります!!!

やっぱりベイスターズはですね親会社を大洋漁業に戻してですね、ホエールズ
という名にして、ユニフォームもオレンジにするべきですね。
それが最下位脱出への一番の近道だと思う今日この頃であります。




posted by ワイルドマン at 10:59 | ☔ | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月22日

ナイキはチャレンジャーだ、兄弟船で復刻だぜ!!

予定通り毎日、毎日雨ばかりのスタートとなったStudio20周年記念
イベント”Ace High Only One Wildman”も残すところ今日と明日の
2日間となりました(8月23日終了であります)
この1週間くらいは涼しい風も吹くようになったので「酸素が薄い!!」
「暑すぎる!!」と大変な評判だったGarage内もだいぶ過ごしやすくなって来ました。
20年ぶりくらいに会う人、しょっちゅう会う人、変態の同志、
いたって正常なPinstripeのお客様、同業のPinstriperサン等々、
たくさんの方々にご来訪頂き、嬉しい限りであります!!

イベント限定販売グッズも残りわずかとなりまして(すみませんポスターは売り切れました)アート・プレート(お皿)とビールやカルピスが美味しくなるグラスがちょろっとだけ残っております。

サイズによって在庫切れだったTシャツとポロシャツもこの週末に少量
入荷致しましたので、二度と販売される事のないこれらをぜひGetして
下さいませ。サインもお入れしますよ!!
22日と23日の最終日2日間はPinstripe Challengeも行いますので、
本牧までお越し下さい、お待ちしております!!!

ということでPinstripe Challengeといえばチャレンジャー。
前回のShige菅沼ブログで取り上げられてたのはNew Dodge Challengerでしたね。
まさに現代に蘇った実車の復刻版ですね(中身は全くの別物ですが)

そしてWildman的なChallengerといえばやっぱりNikeなのですな。
ここ数年、変態相手に展開してきたNikeのVintage Lineによる
復刻モデルシリーズですが、この夏またもや新たに復刻されました。
その名もNike Challenger(ナイキ・チャレンジャー)であります。
このシューズは2007年7月のブログで取り上げた「ああ、憧れのMade in USA 」シリーズで紹介した、Nike Bermuda(ナイキ・バミューダ)の兄弟モデルにあたります。

約30年経って兄弟仲良く復刻された訳でありますな、めでたし、めでたし・・・
おさらいの為にバミューダの画像も出しときますね。
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左が28年前に買ったオリジナルのアメリカ製で右が’07復刻版になります、やっぱりカッコいいな!!

そしてチャレンジャーであります。
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このシューズはバミューダと同じ1979年に発売されましたが、何とたったの1年で生産を終えてしまった超短命シューズなのであります。
バミューダはアメリカ製から始まって台湾生産分やマイナーチェンジを行ったりして’83年頃まで生産が続いてましたが、チャレンジャーは兄弟にもかかわらずあっさりとサヨウナラしてしまいました…
理由は知りません。
製造国はアメリカのみとなり「ああ、憧れのMade in USA」であります。

チャレンジャーはレース用の軽量シューズで、同じような形のトレーニング用シューズのバミューダに比べ軽く出来ています。
でもメッシュとナイロンの複合素材による作りや、甲の高さにより紐の締め方が調整できるヴァリアブルワイズシステム等、全体的なデザインは同じ流れになっています。

先端のメッシュ部分がバミューダはメッシュむき出しのままですがチャレンジャーはスウェードによる補強がぐるりと一周しているのが大きな違いなのでした。
あとはソールがバミューダはナイキとしては珍しい吸盤型のオクトパス・ソールを採用していますが、チャレンジャーはお得意のワッフル・ソールになります。
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バミューダをメンマ工場のバイトにより入手した高校生当時、チャレンジャーは見掛ける事もありませんでした。
バミューダ共々並行輸入品だったので、運が良くなければお店で出会うチャンスは少なかったのです。

当時大枚¥14,800をはたいたバミューダよりさらに¥1,000高いプライスで、カラーリングも鮮やかなブルーのバミューダに比べ地味なえび茶色?のチャレンジャーはいま一つ購買意欲がわかないモデルでした。
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そんなこんなで28年が過ぎたこの夏、何とも地味で不人気でレアで誰も欲しがらないようなチャレンジャーが突然復刻されたのです。
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Vintage Lineによる復刻なのでそれなりにきちんと考証して作られています。メッシュの質感の違いや、オリジナルは伊勢エビのような赤みがかった茶色でしたが、復刻版はもう少し色味が薄くザリガニのようなカラーになってます。

左がオリジナルで右が復刻版になります。
重さもほぼ同じ感じで、地味なチャレンジャーの雰囲気は十分に表現されていて、及第点が付けられる復刻だと思います。
いい感じですよ!!
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それにしてもバミューダといいチャレンジャーといい、王道を外したモデルの復刻に熱心なNikeはヤケクソになってるのかマニアの意見を取り入れてくれてるのかよくわからなくなって来ましたね。
企画の方自身がチャレンジャーなのでしょうか・・・・・・

最後におまけ画像を一つ。
これはナイキ・ファイナリストというモデルで’80年頃に日本企画で製造&販売された日本オンリーのモデルになります。
当時クラスメートのF君がこのファイナリストを買って履いてましたが、私と友人のT君は輸入品バミューダを履いてたのでいつもいばってました。
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価格も並行輸入品のバミューダに比べ¥5,000位安い¥9,000というプライスだったのでワンランク格下に見てました。
デザインはバミューダとチャレンジャーを足して2で割ったようなもので、まさに当時の日本車同様、世界のいいとこ取りという感じがしてました。
しかし30年後に見てみると作りはいいし、壊れてないし、それなりにカッコいいしまさに日本の技術力の高さが垣間見えるのです。

バミューダとチャレンジャーの兄弟船と腹違いの兄弟ファイナリストは30年後も私の手元(足元)にあるでしょう・・・・
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2009年08月15日

めぐり巡ってこんにちは、コレクションはタイムスリップだぜ!

やっと雨も落ち着き、夏らしくなってきたと思ったら静岡で地震が・・・

せっかくのお盆Week Special企画、高速道路¥1,000出血大サービス中なのに東名高速の復旧も遅れています。でも皆さんめげずに本牧はMooneyes Area-1まで遊びに来て下さいな。

暑い中Studio20周年記念イベント”Ace High Only One Wildman”はまだまだ続いております。限定グッズの数も少なくなって来ましたので
気合で来て下さい。又、今週末も”Pinstripe Challenge”を開催しておりますので、Pinstripeをやってみたい方、技術的な質問がある方はぜひお越し下さいませ。たくさんの無駄話を用意してお待ちしております!!

ということで暑い夏の夜長は我がミニカー・コレクションの不思議体験を語らさせて頂きます。

30年以上コレクションなんぞやっておりますといろんな巡り合わせがございまして、自分一人で感動している次第であります。この感動を皆さまにも伝えたいと思います。
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カーマニアだったスティーブ・マックイーンの愛車に「ジャガーXKSS」というのがあります。50年代にルマンを席巻したレーシングカー「ジャガーDタイプ」というのがありまして、売れ残ったDタイプに公道走行用の細かな保安部品を付け、ロードバージョンに仕立て上げたのがXKSSになります。まさに行動を走るレーシングカーといった感じでしたが、ジャガー社の工場火災によりパーツも治具も失われ、わずか16台が作られたのみの幻の名車でございます。

ミニカーで勉強すると、
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左がクレセント製Dタイプで、右がスポット・オン製のXKSSになります。2台とも英国製の当時物ミニカーで製造後約50年が経過しております。マックイーンのグリーンの個体は数年前LAにあるピーターセン・ミュージアムでじっくりと拝見した事がありますが、それより前の90年代後半に伝説のボンネビル・レーサー、フレッド・ラーセンがその功績をたたえられ表彰される式典がございまして、たまたまその時アメリカに行っていた不肖Wildmanもたまたまその式典に行かさせて頂きました。たまたまですが・・・

式典が一段落し、ちょっと会場の外に出てみたところ、駐車場の隅に低くうずくまったクルマが目につきました。遠くから見て「あれ何だろ、コブラのレプリカかな?」と思い近づいて見るとビックリ仰天、うおおおおおお〜と叫び声をあげる変態の目の前には何とXKSSが鎮座していたのでございます。
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「キャー、美しい、美しい、美しいぞ!!」と一人興奮しまくり、アメリカのどっかの街で完全にトリップ状態に陥っていたのです・・・

その場所にいたShige菅沼はじめMoonスタッフたちに「このクルマはかくかくしかじか〜」と説明してもだれも「ふーん」としか反応してくれませんでしたが・・・

実車のXKSSと遭遇したのはこの時が初めてでしたが、当時物ミニカーではスポット・オン製のに出会っていたので、どっちかっていうとそっちの方が興奮したのです。このミニカーは60年代当時は少数しか日本に輸入されず、かなりレアな存在だったのですが、私は幸運なことに伝説の千代田ママストアにてグリーン色の一台目を70年代にゲットしておりました。
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「ホビージャパン」という模型雑誌がありまして、60年代の創刊当時は現在のようにガンダムやキャラクター物の本ではなく、れっきとしたミニカーコレクションの本だったのです(私はガンダムなんぞは全く興味が御座いませんのでご心配なく。あれが始まった頃はすでに中学生で、その頃は昭和30年代の事を調べるのが変態の日課だったもので・・・)

ホビージャパンのバックナンバーを何冊か入手し、72年の4月号に昭和の大コレクターであるY氏の絶版ミニカーコレクションが紹介されてました。その中にスポット・オンのXKSSも出ていて「うーん、養殖に失敗した金魚みたいでカワイイよなこのミニカーは、デフォルメの極致だぜ」と一人納得していました。
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そんなこんなで四半世紀が過ぎ、21世紀になって手元に3台目となるスポット・オンのXKSSがやって来ました。今度のは赤色で、この色が一番欲しかったカラーリングなのでした。コレクション・ケースに並べて一人ニヤニヤしてカルピス・ソーダを飲んでいると、ふと昔のホビー・ジャパンの記事を思い出しパラパラとページを開きY氏のコレクションのXKSSの写真を見てみました。

「ウン、ウンこれだよな、やっぱり金魚にしか見えないよこのミニカーは」と思いその写真と、自分のミニカーを交互に見ていた次の瞬間、ブワ〜っとカルピス・ソーダを噴き出してしまいました。「こ、こ、これは一体???」と驚く変態・・・・・だってさ、ホビージャパンに載ってる写真のY氏のXKSSフロントグリル内には他の部分の塗装が飛んでしまって出来たと思われる点々模様がふたつ・・・・・そして我がコレクションケースに収まるXKSSのフロントグリル内にも点々模様がふたつ・・・・一瞬頭の中が?????となりましたが、もう一度よく見てみるとホビージャパンの写真のモデルと私のモデルはどっからどう見ても同じ個体だったのです!!!
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この写真を見てから四半世紀以上が過ぎ、たまたま手元に来たミニカーは、たまたま写真のミニカーそのものだったという世にも恐ろしい不思議な現象なのでした、あ〜ビックリした!!!だってY氏から直接譲ってもらったわけではなく、全く別のルートでたまたま手元に来ただけですから、全くの偶然なのでした。実車ならともかく旧いミニカーでこんな事が起こるとは思いませんでした。

そしてまだ話が止まりません。力道山先生の数々の名車遍歴の中に、名車中の名車「ジャガーXK120」があります。美しいボディとツインカムのXKエンジンは誰もが認める1950年代を代表するスポーツカーの一台であります。これは日本橋に昭和30年7月に完成した「日本プロレスリング・センター」(力道山道場ですな)の前に鎮座する先生のXK120でございます。
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先生はこのクルマを愛せれ、「わたびき自動車」にてオールペンされた際は世界チャンピオンになった証としてドアーに王冠のモチーフを描かれたそうです。生まれていれば私が描きたかったのに・・・・・

そして話がまたもやおもちゃになるのですが、日本のミニカー・コレクション黎明期に御活躍された大コレクター、故内山吉春先生という偉大な先駆者がおられました。氏のコレクションは当時雑誌や新聞に紹介され、コレクターのパイオニアとして私のような弱小コレクターの憧れでありました。70年代のホビージャパン誌にも氏のコレクションが紹介され、その中で50年代英国製の”SMEC”というブランドによる精密模型のXK120が出ていました。
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これがその時の写真になります(1971年9月号)
「なんて素晴らしいプロポーションなんだろう、力道山先生のクルマとうりふたつだぜ」とウットリ眺めておりました。こんなの絶対に手に入るわけないなと思っていても、絶対に手に入ると考え直すと向こうからやって来るものなのですな、これが・・・・・
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21世紀になって、私のミニカー・コレクションの師匠であるサンセットの宇野さんから「内山さんのジャガーが入ってくるけど、いるでしょ?」と信じがたい連絡が入りました。お店に行ってモデルを見てみるとあの本に出ていたその物なのでした!!!一緒に当時のインストラクションも付いてきて、内山先生が価格やスケールを記した直筆メモも見受けられます、感動です。(英国のAutocar誌1955年2月号で通販されたようです)
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時を超えて我がコレクションに収まるおもちゃたち・・・タイムスリップはデロリアンが無くても出来るのです!!!!
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この画像は 今から49年前の1960年2月号のモーターマガジン誌に内山先生のこれコレクション・ルームが紹介された時の物です。この辺にこのジャガーがいるのですな、興奮してきました。

ロマンチックなタイムスリップ、コレクションはこうやって受け継がれて行くわけですね。私のコレクションを受け継いでくれるのはどんな変態の方なのでしょうか・・・・・
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2009年08月08日

未完成の芸術はランボルギーニ・ミウラだ!!

暑い毎日を暑いガレージ内で過ごす私・・・・・
熱いイベントAce-High Only One Wildmanはまだまだ続いておりますので、お盆WeekはぜひArea-1 Garageまでお越し下さいませ。大変暑い中、大変な変態とのひと時を過ごしましょう。限定ポスター以外にもTシャツなんかにサラっとサインもしていますので、汗かきの方はぜひ2枚Getして下さいませ。

又、イベント開催期間中の週末、土日はPinstripe Challengeを開催しております。Pinstripe初心者の方や技術的な質問等がある方はWildmanが無駄話と共に的確なアドバイスをいたしますので、ご興味のある方は遊びに来て下さいな。無駄話がメインとなってしまった方は諦めて下さい・・・・・・

そして暑いので、唐突にランボルギーニ・ミウラであります。自称スーパーカーマニアのWildmanが認める3大スーパーカーの内の一台なのです。

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三浦じゃなくってミウラというクルマの存在を知ったのはスーパーカーブームが起こる遥か前、ついこの前の昭和44年頃、マッチボックスのミニカーを手にした時でした。「なんてカッコイイクルマなんだろ、もっとカッコ良くしちゃえ!!!」と手持ちのデカールをベタベタと貼って仕上げたのがこの一台です。意味不明のロータスのデカールはともかく、何とビックリMoonのデカールが貼ってあるではありませんか。将来を案ずるワンオーナーのこの一台、40年前にタイムスリップ出来るのです・・・・・

それはともかくランボルギーニ・ミウラというのは時代の先端を行くメカニズムとカッコ優先で仕上げられた「偉大なる未完成車両」というのが現代のクールな目で見たミウラの実態なのです。まあ6〜70年代のスーパーカーなんてどれも似たり寄ったりですが、ミウラが凄かったのはあのカッコだけで、世界中のマニアやお金持ちを虜にしてしまった事ですね。

ファッションで作ったミッドシップはどうにも困った操縦性を生み出してしまい、世界中のミウラ・オーナーが怖い目にあったり、大事故を起こしてしまったりと、まさにあらゆる意味でミウラはスーパーな存在なのです。

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’66年にこのオレンジ色のプロトタイプが発表されミウラは大反響を呼び、オーダーが殺到してしまいました。まだプロトタイプがまともに走らないような状態のうちに「もういいや、コレ売っちゃえ」という社主の判断により、ミウラは未完成のテスト車量のような状態で次々とデリバリーされて行ったのでした、いい時代ですね・・・・

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ミウラの基本デザインは突然思いついたものではなく、開発者が「公道を走れるフォードGT40を作りたかった」というコンセプトによるもので「そういえばミウラはGT40にそっくりだな」というのは子供の頃からミニカーを見てずっと思ってました。本当にミニカーって勉強になりますよね。ガバっと開く前後カウルやミッドシップのレイアウトは60年代最先端のレーシングカーGT40そのものですが、ミウラはサーキットで走るのではなくお金持ちが平民に見せびらかすのを主な目的として?作られてしまったので、室内を広くするためにV12エンジンを横置きにしてしまったのが、縦置きミッドシップであるGT40との決定的な違いでした。GT40はレーシングカーなので居住性云々は二の次でしたが、ミウラは「室内が狭い車じゃセレブが嫌がって買ってくれないぞ」という決定的な理由により、いろんな問題をかかえつつも変態的な横置きレイアウトを選んだのでした。

これによりキャビンはとっても広くなり、デザインも優雅な物が出来ましたが、乗ってみると問題だらけのあらゆる意味でスーパーなクルマとなってしまいました。商売としては成功したミウラでしたが、開発者にとっては特に初期のモデルは未完成の物を売ってしまった感があり「プライドに傷がついてしまった」そうです。でもね、いいんですよカッコいいんだから、車はカッコです!!カッコが一番なのです。フジ・キャビンもニッケイ・タローもミウラもみんなカッコイイんだから!!!スタイル良ければ中身は二の次というのがWildman流の自動車論なのです。

ということで今回も1960年代に作られた当時物ミニカーにてお勉強です。ミウラは人気者だったのでミニカーでも各メーカーによりたくさん作られましたが、たくさんありすぎるので今回は絶版ミニカーとしては一番人気の2台をご紹介します。

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数年前ヤフオクで大ブームになってしまい、バカみたいな値段で取引されてたのがフランスはsolido社のミウラであります。(みんな、あんな値段付けるなよ、コレそれほど珍しいもんじゃないよ!)ごらんのように素晴らしいプロポーションで前後カウルとドアーが開き前輪がステアするアクションも持っています。カウルのエッジが効き過ぎてますが、それは芸術的なデフォルメなので最近作られたミウラのミニカーなんかとは格が違うのですな!!

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solidoのミウラで面白いのはパッケージが3種類あった事ですね。平べったくて「道路を走ってる風」のが人気で、普通の四角いのがアメリカ仕様パッケージ、最終型はウィンドウ・パッケージになっていて中身が見えるのです。これらを全部揃えるのも変態コレクションの楽しいところなのです。

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そして本国イタリア製のはPolitoys社のミウラです。60年代、後発メーカーだったPolitoysは、他のミニカーメーカーに追い付き追い越せといった感じで、次から次へと多数のアクションを持ったミニカーを開発してました。開くところは全部開け、シャシーにはドライブシャフトやデフまで付けちゃおう、という飛び道具満載のメーカーになってました。ミウラはその真骨頂のモデルで6アクションを備えるといった超過激モデルになってました。

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前後カウル、リアトランクフード、両ドアーの各パネル開閉はいいとしてボンネットのエアパネルを開くとそこには給油口がこんにちは!!という感じです・・・・サイドミラーやスペアタイヤ、エアクリーナー、ミウラ独特の丸い軽量穴を開けたフレームまで再現され「どうだ!!見たか!!ざまあみろ!!やるだけやったぞ」という製作者の声が聞こえて来そうなスーパーカー・ミウラにふさわしい傑作モデルなのです。

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ビンテージ・ミニカーは製作者の感性の違いが出て、本当に面白いですよね。何度も言いますがこれはアートなのです。

未完成スーパーカーの芸術、ランボルギーニ・ミウラはミニカーになってもやっぱり芸術なのでありました。
posted by ワイルドマン at 09:23 | ☁ | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月01日

カッコウはカッコウいいぜ、飛ばない鳥はシャパラル様だ!!

Studio20周年記念イベント”AHOOW”が始まってから約2週間が
経ちましたけど、始まったと同時に私が梅雨入り宣言を発令した為、
見事に本牧周辺は雨が降り続いております。

Super雨男ぶりはいかんなく発揮され、自らのイベント開催を祝福
しているようですが、そろそろ疲れて来ましたのでもう梅雨入り宣言
は撤回し、梅雨明け宣言を致します。

ということで、8月2日(日)はお台場での”Motorcycle Swap Meet”
を楽しまれた後はぜひ本牧Mooneyes Area-1にお越し下さいませ。
快晴の中、楽しくてマニアックなひと時を過ごしましょう。

それともうひとつ、この前もお話しましたが及川編集長入魂の一冊
”Fly Wheels”が奇跡の発売にこぎつけました。夢のようですが本当
の話なのです・・・・

誌面には不肖Wildmanも登場し、これまでのPinstriperとしての
たった20年の活動について語っておりますので(ミニカーの話は
NGだったのが誤算)ぜひ書店にて夢のような定価¥1,500にて
お買い求め下さい、「Wildmanの真実??」が載ってます。

お買い上げ¥1,500以上は送料無料のAmazonでも売ってるよ!!
それではまた来週!!って終わるのが普通のブログらしいいのですが
当ブログはここからやっと本題に入れるのです。

ついこの前、大阪万博も終わり小学校に入学した頃、とっても奇怪
な形をしたレーシングカーの写真やオモチャを目にするようになって
ました。

そのころ日本の子供にとって夢のレーシングカーといえば
ポルシェ・カレラ6やフォードGTなんかがメジャーな存在で、
絵本からオモチャまでこれらのクルマが素材として使われ、
そのデザインが頭にインプットされてました。
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しかし、真っ白で奇妙な形をしたそいつは名前も奇妙で
「チャパラル」
と表記されていて、何から何までヘンテコリンに見えました。

「チャパラルだって、なんて弱そうな名前なんだろ、カッコわる!!」と思ってましたが、数年後古本屋に通う特異体質の小学生になってからこのクルマの事を調べるうちに、とっても偉大なレーシングカーである事が判明し、弱そうな名前ではなく自分の頭が弱かった事を反省したのです・・・・

当時日本ではチャパラルと表記されてる事が多かったのですが、
スペルは”Chaparral”となり、シャパラルと発音するのが本当のようで現在はマニアの皆様もシャパラルと呼んでいます。
シャパラルのネーミングの由来は、アメリカに生息する荒野を駆け抜
けるカッコウ科の鳥さんで、皆様ご存知の飛ばない鳥”Roadrunner”
なのです。

Chaparral Carsを設立したのは「ジム・ホール」さんというテキサスの石油王なのですが、ただの成金オーナーではなく自らがエンジニアでありドライバーでもあるという3足のわらじを履いた変態じゃなくって天才だったのです。
ホールさんは頭が良過ぎたのか、あっち側に行っちゃってたのか、
それまでのレーシングカーの概念にとらわれる事無く、航空工学などの、他分野の科学的技術を取り入れた独創的なレーシングカーを作り上げ、60〜70年代のCan-Amやヨーロッパスポーツカー世界選手権等の
レースシーンで活躍及び奇異の目で見られたのでした。

レースカーにオートマチック・トランスミッションを導入したり、飛行機のごときウィングをおっ立てたのもシャパラルが最初で、これらの技術はその後F-1で全て使用されるようになったのです。特に空力に関しては異常なまでの執念を見せてました。
飛べない鳥のくせに・・・・・

ホンダ第一期F-1の「走る実験室」どころか、
「実験が楽しくってやってる」というような勢いで数々の
名(迷)レーサーを生み出したのです。

ということでまたもや「当時物ミニカー」でシャパラルのお勉強なのです。
シャパラルといえば巨大なウィング、子供のころ強烈なイメージを残してくれたのがこの「シャパラル2F」だったのです。
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絶対に空高く飛んで行くクルマだと思ってました。

1967年の世界選手権用のマシンですが、ビッグブロックV8のシェビー427cu.in.と3速セミオートマの組み合わせは強烈なスピードを生み、いくつものファステストラップや予選第一位という一発芸的な速さを誇りましたが、やっぱり一発芸で終わってしまい本番のル・マンでも予選2位スタートながら最後はパワーに耐えきれないミッションが
悲鳴を上げてリタイアしてしまいました。
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この2Fのミニカーは60年代に作られたイタリアのマーキュリー社製で、可変式ウィングは実車の如く可変し気分を盛り上げてくれます。

しかもリアカウルのナンバープレートはテキサスの物になってるという凝りようなのです。素晴らしい・・・・・

そしてシャパラル最後のマシンとなったのが奇妙奇天烈な
「走る弁当箱」にしか見えない「シャパラル2J」であります、
狂気のレーシングカーなのです。
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エンジンはシェビーV8を465cu.in.まで拡大しましたが、そんな事はどうでもよくて、ボディ後半を弁当箱のようなカウルで包んでしまい、カウル後部にスノーモビル用の274cc、2サイクルエンジンを搭載して2機のファンを回し、強制的に車体内部の空気を吸い出して路面との間に負圧空間を生み出し、いわゆるダウンフォースを発生させコーナリングスピードを高めるという理論でした。

数年後「ファン・カー」と呼ばれるF-1、ブラバムBT46Bがこの技術をパクってあのニキ・ラウダがドライブしてましたね。

ブンブン回るファンから埃や小石、ゴミをまき散らしながらF-1チャンピオンのジャッキースチュワートのドライブにより強烈なスピードで走る2Jでしたが、こちらも2F同様一発屋さんでありまして、予選トップも本番リタイヤなんてことばかりでした。

しかもファンを回すエンジンがぶっ壊れるとダウン
フォースが失われ制御不能の弁当箱と化すのみでした。
結局このシステムはレギュレーション違反という裁定がなされてしまい2Jはレースを走れなくなってしまいました。

これでジム・ホールさんも「もうヤーメタ」となってしまい2Jはシャパラル最後のマシンとなってしまいました。

キワモノレーシングカーたちは当時ちゃんとミニカーにもなってます。この2台は2Fと同じイタリアのマーキュリー社とHot Wheelsが
買収したイタリアのMebetoysからた出てグラントロス・ブランドの物です。
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当時物ミニカーの良いところは現在のどのブランドも同じに見えてしまう中国生産の超精密モデルとは違い、それぞれ作ったブランドの個性が出ている事なのです。
これがビンテージ最大の魅力なのですな。
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マーキュリーのは実車に近いカラーリングとデカールが雰囲気抜群
なのですが、何といってもリアタイヤを回すと実車同様2機のファンが
クルクルと回るアクションを備えているところが最高なのです。
初めて手にした時は嬉しくてクルクル回し過ぎてしまい、クルクル目が回ってしまいました・・・・
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グラントロスのは実車とは全くかけ離れたカラーなのですがこの、Toy
っぽさがたまらないのです。エンジンもきちんと再現され、フロントカウルには荒野を疾走するシャパラルのエンブレムがちゃんと再現されてます。
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同じ時代に作られた同じ車種のミニカーで、こうも違う仕上げになるとは現在では考えられません。やっぱりビンテージ・ミニカーは芸術なのです。
ジム・ホール氏は未だ健在で、歴代シャパラルの実車は全てミュージアムに保管され、ヒストリックカーレースなどで元気に走り回っております。

いつかファンがクルクル回る「走る弁当箱」を拝んでみたいものです。

科学的レーシングカー「シャパラル」最高であります!!!
posted by ワイルドマン at 11:06 | ☔ | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

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