2010年02月27日

90年代を席巻したアストロの思い出は国道246号と共に・・

いよいよ日本のプロ野球はオープン戦も始まり、球春到来ということで陽気もポカポカと暖かくなってきましたね。

今年の横浜ベイスターズは久々にお金を使った補強もし、最下位脱出はもはや確定的となっておりますが、やっぱり一番気になるのは昨年のドラフト一位の筒香君ですね(つつごうと読みます)

地元横浜高校出身のスラッガーでちょっとデブなのが気になりますが、高校通算69本塁打という実力は、かの渡辺監督が「横浜高校史上最強のバッター」というとんでもない発言の通り、他チームスコアラーの評価も上々で「あの松井以来のパンチ力」というおほめのお言葉も頂いております。このまま上手く行けば開幕一軍となり、ベイスターズには珍しく高卒ルーキーのベンチ入りが見れるかもしれません、ワクワク・・・・筒香君にはそんな超人的な活躍をして欲しいものであります!!

超人野球といえば「アストロ球団」でなのです。えっ、知らないって、何で??ついこの前の1972年から1976年までの間、少年ジャンプに連載されてた「スポ根超人野球漫画」とでも言うのか、それは恐ろしいストーリーの野球漫画でありました。
0227-8.jpg0227-7.jpg

昭和29年9月9日生まれの、体に同じボール型のアザを持つ9人の超人がアストロ球団というチームを結成し、打倒巨人、打倒大リーグを目指すという話の展開なのです。魔球くらいなら驚きませんが、試合中死人や廃人が出たりして、まるで殺し合いのような無茶苦茶なストーリーは、とてもそれまでの「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」のような正統派野球漫画とは一線を画していて、少年Wildmanは一発でファンになってしまいました。

単行本で20巻もあるのに、試合は何とたったの3試合しかこなしてなく、1試合当たりの連載は1年以上掛かっていたような感じなのでした。力道山先生ご友人のロッテ金田正一監督やアルトマン、有藤さんら実在のプロ野球選手も出てくるのですが、壮絶なストーリー展開は今の時代ではSFかギャグ漫画にしか感じられないかもしれません。

「そうだ、今こそ読み返そう!!」と思いましたが、そういえば単行本の17巻から19巻は、ついこの前の1978年、中学校の英語の授業中に読んでいるところを先生に発見されその場で没収されていたのでした。

「卒業するときに返してやる」と約束したはずですが、返してもらってません・・・大谷先生、いい加減に返して下さい!!

そんなことはどうでもいいのです!!漫画の「アストロ球団」じゃなくって、クルマの「シボレー・アストロ」の話をするつもりがこの有様です、すみませんです・・・・

アストロといえばとっても素晴らしいデザインを持ち、あんなに横幅があるのに日本でも受け入れられて、90年代にはカスタム・ベースの定番としてみんなが乗っていましたね、物凄い台数が日本に輸入されてたミニ・バンでした。ちっともミニじゃありませんが・・・

90年に初めてお客様のアストロにPinstripeを施工しましたが、20代前半のオーナー様は、何と500万!!近くしたアメリカ製作カスタム車輛をフルローンで買って来てPinstripeを依頼されました。バブリーな時代でしたね・・・・

ムーンアイズでもカスタム・ベースの定番車輛となり通算6台も製作するという暴挙?に出て、それぞれが色々な用途に使用され皆様の眼に留まった思います。
0227-3.jpg0227-4.jpg0227-2.jpg0227-1.jpg

シンプルな黒と黄のツートンのヤツは高価なビレット・ホイールにビス止めサターン・ディスクを装着するというまさに暴挙でしたが、カッコ良ければそれで良いのです、いつの時代もGo! with M@@Nなのです・・・

そして勢い余ってベイスターズ38年ぶりの優勝を記念して98年に作ったのが'89旧型アストロベースの”Street Van”でありました。まだハイテック・ブームの名残があった時代に、突然70’sリバイバル・デザインを持ち出したのは最高のアイデアだと思いましたが、逆に作る時代が早過ぎたようです。
0227-5.jpg

凄過ぎちゃって、当時の普通の?アストロ・オーナーは引いてしまいました・・・さすがにGo! With M@@Nとは行きませんでした・・・

でも今なら良いかもね、好きだな〜このクルマ!!!

6台のアストロのうち、一番仕事で使ったのは、この白・グレーツートーンの後期型’96カーゴ・バンでしたね。
0227-6.jpg

大阪やら九州やらあっちこっち自走で出張PaintやShowに走りまくりました。目玉だらけのデザインはどこに行っても人目を引き、印象深いクルマだったと思います。新車ベースだったのでとっても丈夫で、本当に便利なヤツでした。

過去形のようですが、もう日本にはこのクルマは無く、その後アメリカに里帰りし、2010年現在はSanta Fe SpringsのMooneyes USAにて未だ現役で活躍しております、頑張れアストロ!!

日本でカスタム・ペイントを施してから14年の歳月が経っておりますが、まだ目玉だらけの塗装はキレイなままでして、あの”Santini Paint”のサンティーニさんもその耐久性に驚いていたそうです、まあ96年なんてついこの前ですが。

このクルマには色々と思い出がありますが、一番の思い出は何と言ってもArea-1カリスマ成田店長なのであります。

確か96年のアメフェスだったと思うのですが、富士スピードウェイからのおなじみ大渋滞の帰り道、東名の渋滞を回避し、国道246に出ましたがやっぱりそこも大渋滞でした。このアストロは2シーターなので、私が運転し、横にはカリスマ成田店長が座って、仕方なく山の中の長い渋滞にはまっておりました。さんざんプロ野球の話をした後、突然成田店長が「石井さん、トイレに行きたい!!」と子供のような事を言い出しました。

「そんなこと言ったってこんなとこにトイレなんかないよ、お店もなんにもないからその辺でしちゃえ」とアストロから降ろしちゃいました。渋滞してクルマも全然進まないから2〜3分なら大丈夫だぜと待ってましたがなかなか成田店長が戻って来ません。

そうこうするうちにクルマが少しずつ進み始めました。「まあ、いいや動かず待ってましょう」と片側1車線の道をふさいでましたが、後ろの方からクラクションがピ〜と鳴り始めました。

「やばいな、少しだけ進もう」と思いチョッぴっとだけ進みました。それでも成田店長は戻って来ません。するとなぜか突然渋滞がやわらぎ始めどんどん前のクルマが進んで行くのです・・・・

「こりゃまずい、一緒に進まないとクラクションの嵐が待ってるぜ」と小心物Wildmanは前のクルマに続いて少しずつ、少しずつ進みました。しかしいくらバックミラーを見てもカリスマ店長の姿が現れないのです。
「何やってんだ、アイツは、一体どこに行っちまったんだ!!」と今度は私が逆ギレ気味になり、アストロは普通にすいすいと走り始めたのです。気がつけば山道を2キロくらい走り、やっとバス停のスペースを発見しそこにアストロを停めたのでした・・・・

夏の夕暮れ、なぜか国道246号の山道を一人歩くカリスマ成田店長・・・・渋滞にはまるクルマの人々の好奇の視線を浴びながら、ヒッチ・ハイカーのような店長はやっとアストロのところまで辿り着きました・・・・

「石井さんヒドイな、何でおいて行っちゃうんだよ〜!!」と成田店長が叫べば「勝手に消えてしまうオマエが悪いんだ!!トイレなんか我慢しろ!!」と逆ギレで応戦するWildman、いまだに上手く交わらない二人の争いはこの時から始まっていたのかもしれません・・・・・

カリスマ成田店長伝説もこの頃より始まっていたのかもしれません・・・

90年代を席巻したシボレー・アストロの思い出は、国道246号と共にあるのです、やっぱりアストロ・バンは最高だぜ!!!
posted by ワイルドマン at 08:00 | ☁ | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2010年02月19日

力道山先生のご自宅を訪ねて Part II

まったく寒いったらありゃしない!横浜は雪ばっかり降ってGarage内は冷蔵庫と化しクルマのボディーはキンキンに冷たくなってピンストライプも凍ってしまいそうです・・・

今週は富士に出張Paintに行ったのですが、行きも帰りも御殿場周辺の東名高速は雪が降りまくりやがって、小心者はクルマを乗り捨てて本当に電車で帰ろうかと思ったほどでありました。期待の暖冬は何処へ・・・・
Rikigoten 016.jpg

そんな寒い中、やっとこ”Hot Rod Custom Show 2009"のDVDが入荷しましたよ!あのイベントは自分の周りの事で精一杯で、なかなか全部を見ることは出来ませんので、このDVDを見て改めて当日の感動が伝わってきました。皆様もこの感動をぜひお手元に!!でも本当はDVDじゃ無くってベータ・ビデオで見たかったのですが・・・・

という事で先週からのお話&ロケの続きであります。
0220-9.jpg0220-8.jpg

ご自分で髷をぶった切り、相撲を廃業しちゃった力道山先生はちょこっと荒んだ生活を送られていましたが、銀座の飲み屋で運命の出会いがありました。酔っ払いついでにちょろっとからかってケンカをしようと絡んだ相手が「ハロルド坂田」という日系人でした。
0220-10.jpg
先生はからかうつもりが反対にこの坂田に関節技をきめられてしまいました。ハワイ生まれのハロルド坂田はこの時、日本に来ていた駐留米軍慰問のプロレス御一行のメンバーでした。

そう、この坂田さんは後に007ジェームズ・ボンドシリーズで名脇役となった「オッド・ジョブ」役を演じた方なのです(あの帽子をピュっと飛ばすあやしい悪役ですな)そしてハロルド坂田にプロレスの練習に来るように誘われた先生はナゾの西洋相撲プロレスにはまってしまい、エキジビジョンにも出場し気がつけばハワイに修行に行ってしまいました。朝青龍が引退後ゴルフしにハワイに行くのとは訳がちがうのですな・・・
0220-6.jpg

先生はそのままアメリカ本土に渡って一年の間に300試合をこなし負けたのはたったの5回だけ!!!という成績を手土産に凱旋帰国し、力道山道場を開いて日本にプロレスというビジネスを広めて行くのです。

そして始まったばかりのテレビ放送にプロレス中継を見事に乗せて、一大ブームを作られました。なんとNHKまで先生の試合を中継していたのですから・・・・

こちらは街頭テレビで先生のプロレス中継に熱狂する人々です。
0220-7.jpg

私がこの中にいなかったのが残念でありません・・・・生まれる時期を間違えましたな・・・

その頃先生が住んでたのが、先週ご紹介した日本橋浜町のご自宅であります。そしてついこの前の昭和30年に「でっかい洋館に住んでみたい」というご希望により今度は東京都大田区梅田町34番地の大豪邸「リキ御殿」に引越しされました。この画像の右にある木に囲まれた古墳のように巨大な屋敷がリキ御殿であります。
0220-4.jpg

猛烈に広い敷地内にはキャデラック、300SL、ヒーレー等の愛車がずらりと並び、ドーベルマンやポインター、ボクサー等16頭!!のお犬様も飼っていたのです。我が家の猫6匹&犬一匹ではまだとても対抗出来ませんです・・・おっ、先生とお犬様の後ろには新車のChevy Nomadが・・・素敵過ぎます。ちなみにお犬様の世話はアントニオ猪木さんがやっていたそうです、時代ですなあ・・・
0220-2.jpg0220-1.jpg0220-3.jpg0220-5.jpg0220-11.jpg

「こうなったらリキ御殿に行くしかないぜ」と思って、日本橋浜町より大田区へ大移動であります。ちなみにコレは途中で目の前に現れた東京タワーであります。やっぱりカッコイイぜ、東京タワーよ!!力道山時代の優秀な建築物であります。ちなみに横浜マリンタワーを世界一愛しているのはカリスマ店長成田であります。
Rikigoten-001.jpg

行って来ました大田区梅田町!!!というか21世紀現在は大田区南馬込6丁目という地名になってました。

「さてリキ御殿はどこでしょう??」と一人の変態が雨の南馬込の街を歩くこと十数分、「こ、こ、これは、何か違うぞ、この建物は!」やっとたどり着いたリキ御殿のはずの番地にはこのような建物が・・・
Rikigoten 003.jpgRikigoten 002.jpg

そう、リキ御殿はとっくの昔に無くなっていて、現在は都営浅草線・西馬込駅の車輌置き場になっておりました。これが悲しい現実、50年の歳月は街の全ての風景を変えていたのです、寂しいぜ・・・・
しかしこの敷地内には、なんとリキ御殿の庭石がそのまま転がっているというウワサもあるのです。今度不法侵入レポートを敢行するしかありませんな。

タイトルは「突撃!!リキ御殿2010」となる予定であります。

傷心の変態はそのまま今回の最終目的地「池上本門寺」に向かいました。一年半振りの力道山先生お墓参りとなりました。突撃!!雨の本門寺であります。
Rikigoten 005.jpgRikigoten 015.jpg

お馴染みの一枚目の看板が見えてきました、
Rikigoten 006.jpg
そして角を曲がって2枚目の看板っと、と思った瞬間、あまりの惨劇に目を覆うばかりでした。一年半前の訪問時にもこの看板の色褪せが気になってましたが、なんと今度は色あせた文字がマジックペンで縁取られてました・・・・なんでこんな恐ろしいリペアするんでしょ、こうなったら次回は絶対にワンショット・ペイントを持ち込んで勝手に書き直してやると心に誓った次第であります!!!
Rikigoten 007.jpg

そして先生の墓所にたどり着きました。沢山のお花が供されているのはサスガでありますな。手を合わせて最近の活動状況をご報告致しました。
Rikigoten 013.jpgRikigoten 009.jpgRikigoten 010.jpgRikigoten 011.jpg

今回は雨の中、傷心のレポートとなりましたが、これからも定期的に力道山先生の足跡を追って行きますので、皆様いっしょに楽しんで下さいませ・・・・
posted by ワイルドマン at 19:29 | 🌁 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2010年02月13日

力道山先生のご自宅を訪ねて Part.I

やっとこ蜂に刺された右腕も快復しましたが、ハレが引くのに2週間も掛かるとはアメリカの蜂、恐るべしでありますな。蜂のムサシは死んだのさ・・・・・

この前の休みの日、ミニカーにワックス掛けを行いました。楽しいけどとっても大変なので今回は15台ほどで勘弁してやりました。ローテーションで死ぬまでやり続けますが、こんなペースじゃ今回施工したモデル達に次のワックス掛けの順番が廻ってくるのは10年後の2020年になるかもしれませんな・・・
Nihonbashi 022.jpg

そして次の日の天気予報が気になったので、めったに見ないテレビを見よう思いアナログ放送にスイッチオン!!ちょうどニュース番組がやっていたのですが、最近話題の横綱朝青龍の引退に関する特集をやっておりました。「ふ〜ん、横綱も相撲協会もどっちも悪いのう・・・横綱の品格ですか」そんなのより「変態の品格」の方がよっぽど大事に思えるのです。

と思っていた次の瞬間、突然テレビ画面がモノクロに変わり、飲んでいたカルピスソーダをブッと噴出してしまいました!!

「セ、先生、力道山先生!!!どうしたのですか、テレビ出演などなされて!!」と叫ぶ変態が一人・・・・興奮のあまりアワワワワと品格の無い醜態をさらしておりました。

この番組では関取引退後の転身みたいな内容で、大相撲引退後に成功した偉大な力道山先生や、転身失敗のどーしようもない双羽黒や、なんだか分からない存在になっちゃった曙たちの事を紹介していたのです。
0213blog-6.jpg

テリー伊藤氏も言ってましたが、朝青龍もですね、引退の経緯はもうどーでもいいとしてですね、これからもし格闘界でやってくのなら、どっかの団体にすがりつくんじゃなく、力道山先生が日本にプロレスを持ち込んだように、自分で団体の一つでも作ってやってみなさいと言う感じなのです。確かに強さは半端じゃなかった朝青龍、これからどんな行動を起こすのか当分のあいだ話題になって行くのでしょうね。

そんな事よりも、テレビ画面で久々に力道山先生の動く姿を見てしまい、ふと思い出しました。「そうだ、この前の12月15日はMooneyes USAのX-mas Partyに出張していたので先生の命日だというのにお墓参りに行ってないではないか!!これはイカン」と思い、気が付けば東京は池上本門寺に向かう準備をしておりました。

朝青龍引退の事があったので「先生もついこの前の昭和25年9月の関取引退後は大変だったのう・・・確かに先生も朝青龍ほどじゃないかもしれんが、関取時代の素行は決して良かったとはいえないのですな、これが・・・」先生も関取時代はこの有様で、こんなカッコで場所入りしてたのですよ!!
0213blog-4.jpg0213blog-2.jpg0213blog-3.jpg

当時の愛車「1948年型インディアン」であります。今じゃ考えられない相撲取りのバイカー・・・・先生カッコ良過ぎます!!朝青龍にも出来ますまい!!(というか今じゃこんなの許されませんね)無茶苦茶に固かったインディアンのキックでしたが、先生はシートに座ったまま軽々とキックを踏み下ろしていたそうです。

なんて考えているうちに「そうだ、どうせ東京に行くのなら、先生が関取引退を決意した日本橋浜町のご自宅跡にも伺ってみましょう]と言う事になりました。と言うか自分で勝手にそうしているのですが・・・
 
そしてやって来ました東京は日本橋浜町3丁目、ついこの前の昭和24年頃、ここに関取現役時代の力道山宅があったのです。
Nihonbashi 006.jpgNihonbashi 005.jpgNihonbashi 002.jpg
関脇に昇進し、ここから場所入りしプロレス転向後も暫くはこの場所にお住まいになられておりました。こちらはそのご自宅前でキャッチボールをする先生であります。2010年現在はこのように銀行等が入った大きなテナントビルが建っておりますが、ここに確かに力道山邸が合ったのです・・・・行きたかった・・・・
0213blog-1.jpg

昭和25年9月、このご自宅で先生はなんとご自身で包丁を使い髷をぶった切ってしまい、勝手に廃業してしまったのです・・・大関目前にある地位の力士がこのような行動を取ったのは相当な覚悟があり、これは相撲協会の先生に対しての扱いへの回答だったのです。
0213blog-5.jpg
結局亡くなるまでご本人からこの件についての真意は語られませんでしたが・・・どうせなら朝青龍にもこのくらいぶっ飛んだ行動を取って欲しい物ですな。

この後先生のサクセス・ストーリーが始まり、ご自宅も引越しとなって今度は大田区梅田町へと家族共々移って行くのでした。それでは次週はそちらに向かいましょう、皆様ついて来てくださいな・・・

posted by ワイルドマン at 07:50 | ☔ | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2010年02月06日

同じに見えても違うのさ! Part.II

ブン♪ブン♪ブン♪蜂が飛ぶ・・・・・
皆様こんにちは、先週はですねPomona Fairplexにて開催された61st Grand National Roadster Showに行って参りました。
GNRS10 008.jpgGNRS10 007.jpg
今年はですね3日間の開催中、天候にも恵まれてとっても盛り上がっていました。(このShowの詳しいReportはMMMにて多数の写真と共にGoshuが執筆致しますのでそちらをチェックして下さいませ)
GNRS10 005.jpg

昨年同様、私はShow会場内の一角で行われるVon Hot Rod主催の”Pinstriper Reunion”に参加してきた訳であります。今年も40名を超えるPinstriperたちが集まり各自そのパフォーマンスを存分に披露致しました。
GNRS10 006.jpgGNRS10 004.jpgGNRS10 003.jpgGNRS10 009.jpg

アート・オークションもあってヘルメットを出品したのですが、何と今年も私の作品が最高落札額となり、とっても嬉しい次第でございます・・・・・日本から持っていったかいがありました。
GNRS10 001.jpgGNRS10 002.jpg

と書いてみれば順調な出張だったようにように思えますが、全然そーじゃなかったんですな、これが・・・ブン♪ブン♪ブン♪・・・

それはShow搬入の日に起こりました。朝、PomonaのParkingで荷物を降ろしていた時、何やら右手首にチクっとした感触がありました。「まあいいや」と思いそのまま荷物を抱えて会場入り口に向かったのです。入口に近づくにつれ、手首に微妙な痛みがあるようなないような・・・入場口でパスをポケットから出すために、抱えていた荷物を降ろしたとき「アレッ、ヤッパリ手首が痛いぞ」と思い右手首を見たらそこには推定6,8mm程の針がブラーンとぶら下がっていたのでした・・・ブン♪ブン♪ブン♪蜂が飛ぶ・・・・・

その瞬間「ウギャー!!イタイ、イタイ、イタイよ」と叫ぶ変態がPomonaに一人、そうです、さっきチクっとしたのはいつの間にか蜂に刺されていたのでした!!

Mooneyes USAのChico-sanが「おい、大丈夫か、蜂に刺されたら死んじゃう奴もいるんだぞ」と暖かいお言葉を掛けてくれました、大丈夫です生きております・・・・・

そのうちプク〜っと手首が真っ赤に腫れて来て、もうイタイのなんのという感じで、薬なんか持ってるわけもなくそのままにしておきました。熱を持ってる手首はとっても重く感じましたが、どうにもならないのでそのまま2日間我慢してPinstripeを描き続けておりました。

この画像は刺されてから5日後の物ですが、いまだこの有様であります。
IMG_5627.jpg

蜂に刺されたのは人生で2回目の事でありまして、前回はついこの前の1987年、三浦海岸に海水浴に行った時、右人差し指をミツバチハッチに刺されたので、それ以来の出来事でした。よりによってアメリカに来てまで蜂に刺される珍しい変態・・・・また一つ素敵な思い出が出来たのであります!!!あと23年経ったら3回目を刺されて本当に死んじゃうかもしれません・・・ブン♪ブン♪ブン♪蜂が飛ぶ・・・

ということでお話は前回の続き「同じに見えても違うのさ!」になります。まずはミニカーのお話になりまして、フォード・マスタング・ファストバックになります。
GNRS10 010.jpg

シルバーのは英国はCorgi Toys製のモデルで60年代当時日本にも沢山輸入された人気モデルでありました。そして怪しげなメタリックブルーを身にまとったのはCorgiの金型を利用してインドにて作られたMilton Mini Toysというブランドのモデルになります。形は全く一緒なのですがグリルに注目、Corgiのは実車同様お馬さんのエンブレムが輝いておりますが、インド製Miltonのは馬肉をカレーに使うのは禁止なのか、エンブレムは無くて代わりに意味不明の紅白グリルになっております・・・・目出たいぜ!!
GNRS10 011.jpg

同じくCorgi Toys製のスチュードベーカー・ゴールデンホークは金色の塗装が素晴らしく、当時の高級車の雰囲気がプンプン致します。
GNRS10 012.jpg

対する真っ赤なインドのMilton製はすでに使い古された金型の使用によりなんだか板金修理後のクルマという感じで、ホイールキャップも飛んでっちゃった20年以上使いまわされた中古車という風情であります・・・・でもね、今となっては本家英国製Corgiよりもインド製のMiltonのほうが貴重といえば貴重なのであります。
GNRS10 013.jpg

そしてお次はHot Wheelsに食われるまで世界最高のシェアを誇った英国Matchbox製のロータス・ヨーロッパです。
GNRS10 014.jpg

キャンディのようなブルーの塗装も素晴らしく、か細いタイヤが初期ヨーロッパのイメージを出しております。対してそれをコピーして作っちまったのが返還前のホンコンはZylmex製の黄色のヨーロッパであります。意味不明のフラワーパワーデカールと、超ワイドなWheelが全ての雰囲気をぶち壊し、もはやアートの域に達しております。

同じくMatchbox製の黄色いランボルギーニ・ミウラですが、こちらはリアのルーバー越しに12気筒エンジンが見えるという超凝った作りで当時大人気のミニカーでありました。
GNRS10 015.jpg

「このミウラ人気あるからコピーしちまえ」と作っちゃったのが同じくZylmexの赤い三浦さんです。「全く同じじゃまずいからちょっと変えようぜ」と思ったのかなぜか右ハンドルに変更され(実車じゃ超貴重です)ルーバーもエンジンも省略となりました。その代わりに下品なワイドWheelで憂さ晴らししているようですね・・・・

そして今度はスニーカーです。言わずと知れたビンテージ・テニス・シューズの名品「ナイキ・フォレストヒルズ」はボルグ様の大敵「ジョン・マッケンロー」の野郎が使用し一世を風靡致しました。

左がオリジナルですが右のは超貴重なUCLAの大学別注モデルであります。ついこの前の1976年、ポパイ創刊号を見た頃「ウクラ」って何?とおもってました・・・
GNRS10 017.jpgGNRS10 018.jpg

寅年にふさわしい鮮やかなイエロー&ブラックのGo! With MOONなこのスニーカーは70年代の「プーマ・バナナ」というモデルになります。素晴らしく70年代的なカラーリングですが、ある時このモデルは2種類あることに気付きました。
GNRS10 019.jpg

こっちのはつま先のところが黒のパーツで補強されていて、サイド部のロゴもPUMAの下にBANANAとモデル名がプリントされてます。
GNRS10 020.jpg

対してこっちのは補強がなくスマートな作りで、ロゴもBANANAは入らず、PUMAだけプリントされています。
GNRS10 021.jpgGNRS10 022.jpg

どっちが最初に作られたのか定かではありませんが、きっと、最初はモデル名が決まって無くて、ある時担当者が3日前に残した朝食のバナナを見て素晴らしく黄色と黒のコントラストが美しかったのでバナナというネーミングに決まったと思われます、そうに決まっています。

もっと書きたい事はたくさんありますが、これ以上書くと永遠に終わりそうもないので、この手のお話はいつか再特集したいと思っております。

ブン♪ブン♪ブン♪蜂が飛ぶ・・・・・・
posted by ワイルドマン at 08:20 | 🌁 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。